昨季新人王・栗林良吏の2年目は苦しいスタート
広島のクローザー・栗林良吏は開幕から苦しい登板が続いている。昨年は53試合に登板し0勝1敗37セーブ、防御率0.86、開幕2戦目の中日戦でデビューし、10球で抑えて初セーブを挙げると、ここから6月10日まで22試合連続無失点。圧倒的な登板でリーグ2位の37セーブを挙げ新人王を獲得した。さらに東京五輪でも侍ジャパンのクローザーとして5試合に登板、2勝3セーブ、防御率1.80と信頼にこたえた。
しかし今季は初登板でセーブは挙げたものの1失点、3試合目には2失点で敗戦投手。4月10日まで6試合に登板して0勝1敗4セーブ、防御率5.06と、前年とは大きく異なる結果となっている。
1年目50試合以上登板した投手たちの2年目成績
2000年以降、一軍デビューのシーズンに50試合以上登板した投手は34人いるが、その2年目の成績はくっきりと明暗が分かれている。1年目50試合以上登板し、2年目50試合以下の登板に終わった投手は19人いる。
中には西武の牧田和久、ヤクルトの石山泰稚、ロッテの有吉優樹のように2年目に先発に転向した投手や、榎田大樹のように50試合に到達しないまでも好成績をキープした投手もいる。しかし多くの投手は前年から大きく成績を落としている。
大久保勝信は松下電器からオリックスにドラフト2位で入団、1年目からクローザーとして起用される。近鉄、北川博敏の「代打満塁サヨナラ優勝決定ホームラン」を打たれた投手としても知られるが、翌年は28試合に投げたもののヘルニアで戦線離脱となってしまった。また、橋本健太郎は日本新薬からドラフト4巡目で阪神に入団。1年目から中継ぎ投手として活躍したが、翌年は右肩腱板炎で2試合の登板にとどまっている。
最近ではソフトバンクの甲斐野央のケースが記憶に新しい。東洋大学からドラフト1位で入団し、1年目からセットアッパー、クローザーとして活躍。150㎞/hを優に超す速球で圧倒したが、このシーズン中に右ひじを故障、2年目は右肘内側側副靱帯一部損傷で投げることができなかった。
NPB球団のある投手コーチは、次のように語っていた。
「大学や社会人では、野球部と言えども授業や仕事に出る時間がある。しかしプロでは365日野球のことだけに集中する。特に、ペナントレースが始まると毎日のように試合があるし、救援投手ならほぼ全試合スタンバイがかかる。こういう状況に慣れるだけで1シーズンかかるものだ。1年目からフルで投げるのは、肉体的にもきついが、精神的にはさらにストレスが大きい。これでつぶれてしまう投手もいるんだ」
2年目も50試合以上登板した投手たち
こうした投手がいる一方で、2年目も50試合登板を果たした投手は15人いる。
2年目も50試合以上登板した投手でも、多くは2年目で防御率が悪化している。投球を覚えられ、打ち込まれることが多くなるのだ。また2年目は活躍できてもそれ以降に成績が下落して短期間で引退する投手もいる。救援投手は非常に過酷なポジションだと言えるだろう。
そんななか、史上最多の374ホールドを記録している宮西尚生、ソフトバンクのクローザー森唯斗、今季中日からソフトバンクに移籍した又吉克樹、DeNAの山﨑康晃は3年目以降も活躍を続け、浮き沈みはあるものの一線級のクローザー、セットアッパーとして絶大な信頼を得ている。
この表にはないが1999年にデビューした中日の岩瀬仁紀は1年目に65試合に登板したが翌年も58試合に登板。15年連続で50試合以上に登板し、NPB最多の407セーブを記録している。
本当の勝負は「2年目以降」
こうしてみると1年目から大活躍した救援投手は2年目にどんな成績を残すかで、その後の野球人生が大きく変わると言ことができよう。
実は昨年、新人で50試合以上登板した救援投手は、栗林良吏の他にもう1人いる。栗林の同僚、森浦大輔だ。天理大学から2020年ドラフト2位で広島に入団し、54試合に登板、3勝3敗0セーブ17ホールド、防御率3.17をマークした。
昨年の広島の救援陣は森浦、栗林と二人の新人投手が主力だったのだ。森浦はオープン戦で結果が出ず、開幕前に二軍に降格した。栗林とともに、2年目の今年は正念場だと言えよう。
巨人はドラフト1位ルーキーの大勢(翁田大勢)を開幕からクローザーに起用。開幕戦で初セーブを挙げると、4月10日までに8試合に登板し1勝7セーブを記録している。栗林良吏に続いて「新人クローザー」が活躍しているが、彼も、本当の勝負は「2年目以降」になるだろう。
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