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プロ野球の歴代完全試合達成者、わずか16人の球史に残る名投手

2022 4/11 06:00SPAIA編集部
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初めての偉業は1950年の巨人・藤本英雄

佐々木朗希(ロッテ)が2022年4月10日のオリックス戦で完全試合を達成した。1994年5月18日の槙原寛己(巨人)以来、28年ぶりの快挙だった。

ノーヒットノーランは2020年に小川泰弘(ヤクルト)が達成するなど、2018年以降でも山口俊(巨人)、千賀滉大(ソフトバンク)、大野雄大(中日)を含めて4人が達成。ヒットを許さないだけでなく、四死球も出さず、味方のエラーもなく27人で終わらせることがいかに難しいかが分かる。

日本のプロ野球で初めての完全試合は1950年6月28日、藤本英雄(巨人)が西日本戦で達成した。戦中から戦後にかけて通算200勝、歴代最高の通算防御率1.90をマークした右腕の勲章のひとつだろう。

以降、佐々木まで16人が達成している。

プロ野球の完全試合


1955年に武智文雄(近鉄)がパ・リーグ初の完全試合。翌1956年に宮地惟友(国鉄)が達成すると、さらに翌1957年8月21日には400勝投手・金田正一(国鉄)も偉業を成し遂げている。同年、金田は28勝(16敗)を挙げて自身初の最多勝に輝いた。

1958年には西村貞朗(西鉄)が続き、1960年には島田源太郎(大洋)が史上最年少の20歳11ヶ月で達成。翌1961年には立教大時代に長嶋茂雄、杉浦忠の2年後輩だった森滝義巳(国鉄)が達成するなど、この頃は毎年のように記録されていた。

1966年には佐々木吉郎と田中勉がたて続けに達成

1966年にはたて続けに2人が達成した。まず5月1日に佐々木吉郎(大洋)が広島戦でパーフェクト。引退まで通算23勝しかしていない右腕が球史に残る大仕事をやってのけた。

さらに5月12日には田中勉(西鉄)が南海戦で達成。この年は23勝12敗、防御率2.34をマークし、リーグ最多の217三振を奪う活躍だった。

1968年には外木場義郎(広島)も偉大な系譜に名を連ねる。1965年にプロ初勝利をノーヒットノーランで飾った右腕は、1968年9月14日の大洋戦で16三振を奪って完全試合。1972年にもノーヒットノーランをマークし、通算131勝を挙げた。

佐々木宏一郎(近鉄)はアンダースローから繰り出すスライダーとシュートを武器に活躍。1970年10月6日の南海戦で完全試合を達成し、同年は17勝5敗で最高勝率に輝いた。

さらに翌1971年8月21日には高橋善正(東映)が86球で完全試合。奪三振はわずかに1、内野ゴロを打たせて凡打の山を築き、史上12人目の偉業を達成した。

今井雄太郎はDH制唯一、槙原寛己は平成唯一

1973年には八木沢荘六(ロッテ)がパーフェクトゲーム。10月10日の太平洋とのダブルヘッダー第1試合で達成した。

1978年8月31日には今井雄太郎(阪急)がロッテ戦で達成。指名打者制度では唯一の完全試合となっている。前年まで通算6勝しか挙げていなかった今井は、同年に13勝を挙げて飛躍のきっかけをつかみ、1981年に19勝、1984年に21勝で最多勝に輝いた。

今井から16年後の1994年5月18日には槙原寛己(巨人)が広島戦で達成。正田耕三、緒方孝市、野村謙二郎、金本知憲らが並ぶ広島打線から7三振を奪い、102球で平成唯一、20世紀最後の偉業となった。

そして21世紀初の完全試合が佐々木朗希。プロ野球新記録の13者連続を含む、日本タイ記録の19三振を奪う完璧な投球だった。近いうちに再び達成されるとしたら佐々木以外にいないかも知れない。

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