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プロ野球の歴代完全試合達成者、わずか15人の球史に残る名投手

2021 8/30 06:00SPAIA編集部
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初めての偉業は1950年の巨人・藤本英雄

プロ野球で長く達成されていない記録のひとつに完全試合がある。1994年5月18日に槙原寛己(巨人)が達成して以来、27年も空白となっている。

ノーヒットノーランは昨年も小川泰弘(ヤクルト)が達成するなど、最近3年間でも2018年の山口俊(巨人)、2019年の千賀滉大(ソフトバンク)、大野雄大(中日)を含めて4人が達成。ヒットを許さないだけでなく、四死球も出さず、味方のエラーもなく27人で終わらせることがいかに難しいかが分かる。

日本のプロ野球で初めての完全試合は1950年6月28日、藤本英雄(巨人)が西日本戦で達成した。戦中から戦後にかけて通算200勝、歴代最高の通算防御率1.90をマークした右腕の勲章のひとつだろう。

以降、槙原まで15人が達成している。

プロ野球の完全試合


1955年に武智文雄(近鉄)がパ・リーグ初の完全試合。翌1956年に宮地惟友(国鉄)が達成すると、さらに翌1957年8月21日には400勝投手・金田正一(国鉄)も偉業を成し遂げている。同年、金田は28勝(16敗)を挙げて自身初の最多勝に輝いた。

1958年には西村貞朗(西鉄)が続き、1960年には島田源太郎(大洋)が史上最年少の20歳11ヶ月で達成。翌1961年には立教大時代に長嶋茂雄、杉浦忠の2年後輩だった森滝義巳(国鉄)が達成するなど、この頃は毎年のように記録されていた。

1966年には佐々木吉郎と田中勉がたて続けに達成

1966年にはたて続けに2人が達成した。まず5月1日に佐々木吉郎(大洋)が広島戦でパーフェクト。引退まで通算23勝しかしていない右腕が球史に残る大仕事をやってのけた。

さらに5月12日には田中勉(西鉄)が南海戦で達成。この年は23勝12敗、防御率2.34をマークし、リーグ最多の217三振を奪う活躍だった。

1968年には外木場義郎(広島)も偉大な系譜に名を連ねる。1965年にプロ初勝利をノーヒットノーランで飾った右腕は、1968年9月14日の大洋戦で16三振を奪って完全試合。1972年にもノーヒットノーランをマークし、通算131勝を挙げた。

佐々木宏一郎(近鉄)はアンダースローから繰り出すスライダーとシュートを武器に活躍。1970年10月6日の南海戦で完全試合を達成し、同年は17勝5敗で最高勝率に輝いた。

さらに翌1971年8月21日には高橋善正(東映)が86球で完全試合。奪三振はわずかに1、内野ゴロを打たせて凡打の山を築き、史上12人目の偉業を達成した。

今井雄太郎はDH制唯一、槙原寛己は平成唯一

1973年には八木沢荘六(ロッテ)がパーフェクトゲーム。10月10日の太平洋とのダブルヘッダー第1試合で達成した。

1978年8月31日には今井雄太郎(阪急)がロッテ戦で達成。指名打者制度では唯一の完全試合となっている。前年まで通算6勝しか挙げていなかった今井は、同年に13勝を挙げて飛躍のきっかけをつかみ、1981年に19勝、1984年に21勝で最多勝に輝いた。

今井から16年後の1994年5月18日には槙原寛己(巨人)が広島戦で達成。正田耕三、緒方孝市、野村謙二郎、金本知憲らが並ぶ広島打線から7三振を奪い、102球で平成唯一、20世紀最後の偉業となった。

21世紀初の完全試合は誰が成し遂げるだろうか。その瞬間を楽しみに待ちたい。

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