ソフトバンク森唯斗から決勝三塁打
プロ球界関係者の反応は、「あの後藤が!」である。入団12年目。オリックスの後藤駿太がプライドをかなぐり捨て、泥臭いプレーでいぶし銀の輝きを放ち始めている。
今月6日、敵地・ペイペイドーム。開幕8連勝と波に乗るソフトバンクの快進撃を止めようと、必死に戦うチームの中に後藤駿太の姿があった。1-0のリードで迎えた9回、胃がキリキリと痛むような展開で、中嶋監督は抑えの平野佳寿をマウンドに送った。
勝利の瞬間を待ちわびるファン。しかし、その願いは届かない。代打・上林誠知に痛恨の同点打を浴び、試合は振り出しに戻る。今季チーム初の延長戦にもつれ込んだ試合の流れは、ソフトバンクに傾いたかに思えた。だが、野球の神様が用意したのは粋なシナリオだった。
10回。ソフトバンクのマウンドには守護神・森唯斗が上がった。安打と犠打で2死ながら二塁に走者を置いた場面で、「代打・後藤」のアナウンスが場内に響いた。
打席に向かう背番号8。1回、2回と素振りをし、左打席でアドレスを取る。初球は144キロのカットボールがストライクゾーンを外れた。2球目はファウル。3球目のボール球を見逃し、4球目のカーブにはバットが空を切った。
2ボール2ストライク。「追い込まれるまではフライを打ち上げるイメージでいたが、最後は何も考えずに集中していた。必死に食らいつきました」。
5球目。三振を取りに来たフォークボールを、短く握ったバットが捉える。「抜けろ!」。右手一本で運んだ打球は、バックホームに備えて前進守備を敷いていた中堅手の頭上を軽々と超えた。勝ち越しのホームを踏む福田の姿を横目で見ながら、後藤駿太はスピードを緩めず、一気に三塁を陥れた。
自軍のベンチに向けて両手を上げてガッツポーズ。「みんなと喜びを分かち合いたいと。本当によかった」。ヒーローインタビューにこたえる顔は紅潮し、満面の笑みであふれた。
登録名「駿太」から本名に変更した理由
2010年のドラフト会議で、群馬・前橋商高から1巡目指名でオリックスに入団。大阪・履正社高から入団したヤクルトの山田哲人とは同期で、独占交渉権が確定するまで3度も抽選漏れをした末での指名も話題になった。
強肩、俊足を売りに春季キャンプから頭角を現し、「上州のイチロー」との異名を取った。高卒の新人野手では球団史上初の開幕1軍切符を手にし、ソフトバンクとの開幕戦でスタメン出場も果たした。
入団当時、同姓の後藤光尊が在籍していたことから、登録名も「駿太(SHUNTA)」にした。華々しくデビューしたプロの世界はしかし、甘くはなかった。1年目からの1軍定着はかなわず、30試合の出場で打率は1割ちょうど。レギュラー獲得への課題は明確だったが、2年目も出場32試合で打率1割3分8厘と低迷。3年目には117試合に出場してプロ初本塁打をマークしたものの、打率は1割9分9厘と好転への兆しは見られない。
キャリアを重ねるごとにレギュラーの道のりは険しさを増すばかり。慣れ親しんだ「SHUNTA」の登録名を18年シーズンから本名に変更したのも、現状を打開するきっかけにしたかったためだ。
それでも、野球の神様は後藤駿太に試練を与え続けた。新型コロナウイルスの影響でシーズンが120試合に短縮された20年はプロになって最も少ない23試合の出場にとどまり、オフは減額制限いっぱいの700万円ダウンの2100万円で契約を終えた。
若手の台頭に危機感
21年、チームは25年ぶりのリーグ優勝を果たしたが、思いは複雑だった。56試合の出場に「僕自身の成績がふがいなかったので、今年は何が何でも試合に出てやろうと、必死にやってきた」。ずっと、こだわってきたバッティングフォームの改良にも取り組むなど、正面から課題と向き合ってきた。
オープン戦では4割5分3厘(23打数10安打)の打率を残し、西武との開幕戦に「6番・右翼」でスタメン出場。2年連続リーグ優勝を目指すチームに、欠かせない存在になりつつある。
メジャーリーガーが愛用するブランド「JUNK」のヘアバンド姿も板に付いてきた。「今のオリックスは若い選手がどんどん出来てきて強くなっていると思うので、負けないよう、もっともっとやらなきゃという気持ちが強くなっている。ここからです」
まだ29歳。レギュラーに定着するその日まで、後藤駿太の挑戦は終わらない。
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