篠塚の「疑惑のホームラン」で巨人が逆転勝ち
開幕戦は特別な一戦か、それとも「143分の1」にすぎないのか。その結論は後に回すとして、少なくとも忘れられない開幕戦というものが確かに存在する。そのひとつが1990年4月7日、東京ドームで行われた巨人−ヤクルト戦だ。
自身の初陣となったヤクルト・野村克也監督は、ギャオスこと内藤尚行に開幕マウンドを託した。内藤も期待に応え、8回表を終わって3−1とリード。しかし、8回裏、事件が起こる。一死二塁で篠塚利夫(現・和典)が体勢を崩されながら初球をたたいた打球は、グングン伸びて右翼ポール際へ。巨人ファンで埋め尽くされた右翼席から大歓声が上がるが、すぐにため息に変わった。
打球がポールの外側を通過したのは、誰の目にも明らかだったのだ。ところが一塁塁審の大里晴信審判は、右腕をグルグル回してホームランとジャッジしてしまう。
この日の試合を生中継した日本テレビの放送ブースには長嶋茂雄氏、堀内恒夫氏、さらに前年(89年)の日本シリーズを花道に引退した中畑清氏が陣取った。そんな豪華な解説陣も戸惑うばかり。
「ビミョーなフライでしたね」と話した長嶋氏は改めてリプレー映像を見ると「このフィルムを見た限りではビミョーな…」と言葉に詰まる。中畑氏も「あー、ポールの、ねえ」と言葉を濁す。堀内氏は「やっぱり4人制のね、こういうのが出るんですよ」と、この年からセ・リーグが導入した審判4人制のマイナス部分を指摘した。
野村監督の猛抗議も実らず、試合は3−3のまま延長へ。迎えた延長14回裏、一死満塁から山倉和博が押し出しの四球を選び、巨人がサヨナラ勝ちを収めた。試合後、野村監督は「明らかにミスジャッジ。あんなヘボ審判は使ってほしくない。巨人は強いはずだよ」と吐き捨てた。
一方、サヨナラ勝ちに沸く巨人の藤田元司監督は「審判のジャッジだから」と繰り返すばかり。打った篠塚も「ホームラン?それは聞かないでよ。審判の手が回ったからホームランなんでしょ」。こう言うしかなかったのだ。
制裁金や出場禁止など処分受け、逆風の中で迎えた開幕戦
この年、巨人は異常事態のまま開幕を迎える。元運動具メーカー社員の中牧昭二氏が自著「さらば桑田真澄、さらばプロ野球」で桑田真澄をはじめ複数の選手、球団関係者らによる“たかり”の実態を暴露。巨人は開幕直前の3月30日、金品の授受等が統一契約書に記された「模範行為」に違反するとして、桑田に開幕から1カ月の登板禁止と罰金1000万円を命じ、他の選手、球団関係者らに罰金などのペナルティを科した。
これを受けて、セ・リーグは4月3日、巨人に2000万円の制裁金を言い渡す。まさに野球どころではなかったのだ。
そんな逆風の中、思わぬ形で開幕戦を拾うと、続く第2戦は延長12回、8回から2番手で登板し5回無失点と力投していた木田優夫が、左翼席へまさかのサヨナラ本塁打を放った。こうして開幕2連戦を連勝した巨人は勢いに乗り、4月終了時点で14勝5敗と早くも首位を快走する。
桑田も謹慎明けの5月8日の大洋戦(横浜スタジアム)で完封勝利をマークし、チームの勢いはさらに加速。最終的に88勝42敗、2位・広島に22ゲーム差をつける独走状態でセ・リーグ連覇を果たした。
2年連続20勝の斎藤雅樹を筆頭に、桑田と宮本和知がそれぞれ14勝、木田が12勝、香田勲が11勝をマーク。一軍で登板した投手がわずか10人というのもすごい。これだけの投手力を誇ったのだから、開幕戦でつまずいていても優勝できたとの見方もある。
しかし、当時、近藤昭仁ヘッドコーチは「開幕2連戦は大きかった。あんなムードの中で追い風が吹いて連勝できたのだから。あれで乗っていけたのは間違いない」と話している。
開幕戦でつかんだ1勝の高い価値
開幕戦は特別な試合か否か。90年の巨人にとっては明らかに特別だった。
あり得ない状況で開幕を迎えるも、これまた、あり得ないほどのイレギュラーな出来事が起きて白星スタート。あとから「あの勝利があったから」と振り返ることのできる、とてつもなく大きな1勝だった。
ちなみに西武との日本シリーズは1勝もできずに惨敗。これが尾を引いて翌91年は12年ぶりのBクラスとなる4位に沈んだ。長い目で見れば、野球の神様は公平だったということか。
《ライタープロフィール》
松下知生(まつした・ともお)愛知県出身。1988年4月に東京スポーツ新聞社に入社し、プロ野球担当として長く読売ジャイアンツを取材。デスクなどを務めた後、2021年6月に退社。現在はフリーライター。
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