3・25東京ドーム、開幕投手は菅野智之と大野雄大
巨人の開幕投手に指名されている菅野智之が11日、オリックスとのオープン戦(京セラドーム大阪)に先発し、4回7安打6失点と打ち込まれた。それでも74球を投げる中で手応えを感じ取ったようで、「(次回登板は)しっかり結果にこだわっていく」と18日のロッテ戦(東京ドーム)で万全の状態に仕上げるつもりだ。
一方、開幕戦(25日・東京ドーム)で投げ合うことになる中日・大野雄大はこの日、阪神戦(甲子園)に先発し6回5安打2失点。次回登板は18日の楽天戦(バンテリンドーム)の予定で、菅野と同じく25日の本番に備える。
菅野の開幕投手が明かされたのは1日、決戦の舞台となる東京ドームのリニューアルセレモニーでのことだった。原辰徳監督が発表したのだが、今季から中日の指揮を執る立浪和義監督も「それなら我々も」とこの動きに呼応し、同日、大野を開幕投手に指名したことを公表。両指揮官が結果的に協力して開幕戦に向けたムードを盛り上げた形となったが、この2人の間にはいくつかの興味深い共通点がある。
コンバートや守備固め、代打起用も受け入れた現役時代
東海大相模時代からスター選手として知られ、東海大進学後もアイドル的人気を誇った原監督に対し、立浪監督もPL学園を春夏連覇に導くなど、センス抜群のプレーぶりで全国にその名を轟かせた。
原監督は1980年のドラフト会議で4球団から1位指名を受け、就任したばかりの藤田元司監督に引き当てられて巨人入り。立浪監督は87年のドラフト会議で、星野仙一監督が南海との“一騎討ち”を制し中日入りを果たした。
2人とも1年目から人気に恥じない実力を見せ、すぐに中心選手になった。しかし、その後も順風満帆だったかといえば、そうでもない。
現役時代、原監督は二塁→三塁→左翼→一塁→三塁、立浪監督も遊撃→二塁→左翼→三塁とポジションを変えた。故障やチーム事情などが重なった結果だが、両者ともにチームの顔だったことを思えば、これだけコンバートを繰り返すのは珍しい。
現役当時の原監督に「なすがままじゃないですか」と尋ねると「“ナスがママ”なら、キュウリがパパか」とジョークを飛ばした後に「チームの方針に従うのは当然のこと」という答えが返ってきた。きれい事で言っているのではないことは、真剣な表情からも分かった。
ただ、2人とも三塁が終着駅とはならなかった。現役晩年、原監督は長嶋茂雄監督の、立浪監督は落合博満監督の下でそれぞれ控えに甘んじることになる。さらなる我慢の時が続いたのである。
原監督はFAで巨人に移籍してきた落合が“お役御免”でベンチに退いた後、一塁の守備固めに起用されたり、延長に入っても出番が与えられないなど、生え抜きのスターとは思えない屈辱的な扱いを何度も受けた。立浪監督は代打起用に備えて、黙々とバットを振り続けるしかなかった。
悔しさを胸にしまい我慢を続けた両監督
引退後もすぐに指導者になれたわけではない。95年シーズンを最後に現役を退いた原監督は、98年オフに一軍野手総合コーチに就任。当時、私は長嶋監督から「1年間、俺の下で帝王学を学ばせる」と聞いていたこともあり、1年後には監督に昇格するのではと思っていたが、そうはならなかった。
ヘッドコーチ昇格を経て、01年オフ、長嶋監督勇退の後を受けてようやく監督就任を果たす。立浪監督に至っては引退から実に12年の時間を要した。その間には年下で外様でもある谷繁元信が中日の監督に就任。内心、穏やかではなかったはずだ。
原監督は現役晩年、屈辱的な起用にも「バッティングルームの鏡に自分を映すだろ。胸にGIANTSの文字が刻まれたユニホームを着た俺がいるんだ。それで終わりよ。それ以上、何があるんだ!?」と笑いながら話したものだ。
また、現役ラストイヤーの95年には「威風堂々」という言葉をよく使った。どんな扱いを受けようとも巨人の一員として恥ずかしくない態度を貫くという意味だ。当時、チーム関係者から「タツがグッとこらえてくれたのは大きい。いろいろ悔しかったと思うよ。でも不満をぶちまけていたら、チームはバラバラになっていた。タツには感謝しかない」という声を聞いたことがある。
原監督自身、自分の発言の影響力をよく知っていたからこそ、我慢することができたのだ。それは立浪監督も同様で、誰にも負けないチーム愛を胸に、チームが困る、ファンが悲しむ言動は絶対にしなかった。
巨人−中日戦に「伝統の一戦」のような呼び名はない。しかし、長嶋監督が「国民的行事」と呼んだ「10・8最終決戦」に代表されるように、野球ファンの心に残る名勝負は多い。今年はどんな試合を見せてくれるか。同じような道を歩んできた立浪監督率いる中日との対戦を、原監督は心待ちにしているはずだ。
《ライタープロフィール》
松下知生(まつした・ともお)愛知県出身。1988年4月に東京スポーツ新聞社に入社し、プロ野球担当として長く読売ジャイアンツを取材。デスクなどを務めた後、2021年6月に退社。現在はフリーライター。
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