「豊作年」だった1968年、89年、98年ドラフト
今をときめく日本ハムの新庄剛志BIGGBOSSは、1965年(昭和40年)に始まったドラフト史全57回で、ベスト3に入る「豊作年」の選手である。68年「法政三羽烏」の第4回、「松坂世代」98年の第34回、そして新庄監督が指名された89年の第25回。こんなに逸材がそろった年も珍しい。振り返ってみる。
まず68年は「法政三羽烏」と呼ばれた富田勝(南海)、田淵幸一(阪神)、山本浩司(浩二=広島)が。阪急には「名球会入り」(投手で通算200勝または250セーブ、打者で通算2000安打)した山田久志、加藤秀司、福本豊。
やはり名球会入りした東尾修(西鉄)、有藤道世(ロッテ)、大島康徳(中日)。遊撃ゴールデングラブ賞7度の大橋穣(東映)、「闘魂」星野仙一(中日)もこの年だ。
98年はいわゆる「松坂(大輔)世代」。ただ松坂世代は、高校からプロ入りした松坂の活躍を見て大学で力を磨いた選手が多い。高校からプロ入りして好成績を挙げたのは、実は日米通算245セーブの藤川球児(阪神)くらいだ。
この年の大学卒では上原浩治(巨人)、新井貴浩(広島)、社会人経由では小林雅英(ロッテ)、岩瀬仁紀(中日)、福留孝介(中日)ら、そうそうたる顔ぶれがそろう。
孤高の天才、くせ者…BIGBOSS世代は多士済々
そして89年の新庄BIGBOSS世代だ。出世頭は通算2000安打の前田智徳(広島)。三冠王・落合博満(ロッテほか)や日米MVP・イチロー(オリックスほか)、日米通算500本塁打・松井秀喜(巨人ほか)ら超一流打者たちが称賛した打撃技術の持ち主。近い将来、広島の監督就任も確実視される人物だ。
今回「新庄殿の8人」の追加・臨時コーチとして、日本ハムでも指導した。指導された日本ハムの左打者・石井一成遊撃手らは、対外試合で早速結果を出している。
新庄とよく掛け合いをする岩本勉は日本ハムの2位指名。阪神からメジャーを経て日本ハム入りした新庄とチームメイトとなった。しかし岩本はじめ、先輩の亀山努(阪神)、森本稀哲(日本ハム)ら懇意にしていた人物を「お友だち内閣」でコーチ起用せず、しっかりと一線を画している。
ダイエーに1位指名された元木大介は、巨人入りを熱望し、浪人して翌90年も1位指名を受け巨人に入団する。現在は巨人のヘッドコーチだ。ただ同い年のBIGBOSS世代なので、「(SNSで)ホームラン競争をやろう」と持ち掛けたり、「(テレビ共演で、)大介たちは攻撃のサインいくつあるの?」「(元木)「言えるかっ!(苦笑)」)」と、かなり近しい仲であることを感じさせた。
大学経由で4年後にプロ入りした選手では、通算2000安打の小久保裕紀(ダイエー)らがいる。
社会人が豊作だった89年、既に3人が監督就任
この89年は、社会人出身の野茂英雄(近鉄)を8球団が指名したドラフト会議だった。社会人出身では、野茂や潮崎哲也(西武)-古田敦也(ヤクルト)のソウル五輪銀メダルバッテリー、現広島監督の佐々岡真司、昨年まで中日監督を務めた与田剛。ほかにもプロ入り4年連続10勝の西村龍次(ヤクルト)がいる。
大卒組では日米通算381セーブの佐々木主浩(大洋)、防御率1位のタイトルを獲得した小宮山悟(ロッテ)が活躍した。
BIGBOSS世代とドラフト同期組を合わせて監督になったのは、年上の3人。古田敦也(ヤクルト)は06年3位・07年最下位。与田剛(中日)は19年5位・20年3位・21年5位。佐々岡真司(広島)は20年5位・21年4位。
新庄が薫陶を受けた故・野村克也(ヤクルト)は監督就任時、「1年目に種をまき、2年目に水をやり、3年目に花を咲かせて見せましょう」と、セ界にID野球の花を咲かせた。チームを徐々に強くしていくだろう新庄BIGBOSSの本番での戦いぶりが待ち遠しい。
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