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宮古島がプロ野球キャンプ再誘致へ、オリックス撤退から7年

2022 2/7 06:00櫻井克也
故仰木彬氏の座右の銘「信汗不乱」の文字を記した顕彰碑,筆者提供
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筆者提供

イチローや仰木彬が愛した南の島

今年も待ちわびた球春が到来した。プロ野球の“正月”とも言われる2月1日を迎え、各球団は沖縄、宮崎など各地でキャンプイン。新たなシーズンを迎えた選手、首脳陣、そしてプロ野球ファンにとって、胸躍る季節がやってきた。

かつては、この島でも2月1日が2度目の正月だった。沖縄本島から南西約300キロに位置する宮古島は、1993年からオリックスのキャンプを受け入れてきた。しかし2015年から1軍が、16年からは2軍が宮崎に移転。温暖な気候、情の厚い人々、のどかな雰囲気…。魅力満載の南の島は、プロ野球のキャンプ地としては23年間の歴史を終えた。

移転の理由としては施設の老朽化、練習試合の対戦相手が不足することなどだった。イチロー(現マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)がプロ野球選手としての基礎を築き、名将・仰木彬が心から愛した島。撤退の報は、島民はもとより、チーム関係者にも小さくない衝撃だった。

35億円かけて雨天練習場など新設

完全撤退から7年。島を取り巻く環境は一変した。インバウンド需要を背景に、2015年から海外クルーズ船の寄港が再開。右肩上がりに寄港数を増やしていくと、2019年3月には下地島空港も開港。島内には大型ホテルが次々と建設されるなど、リゾートアイランドとして急成長することとなった。

財政面が改善されれば、生活・文化のインフラも充実する。昨年、宮古島と大橋で結ばれた伊良部島に「伊良部島球場」のメインスタジアムが完成。両翼100メートル、中堅122メートル、外野天然芝と“プロ野球仕様”で、12月には記念試合として、東京六大学準硬式野球連盟の「宮古島ウインター対抗戦」を開催した。

今年3月に同時に5人まで投球練習できるブルペンを、来年3月をメドに雨天練習場、サブグラウンドなどを完成させる予定。総工費約35億円のビッグプロジェクトだ。コロナ禍以前から島内では多数の大学、社会人チームがキャンプを行っているが「再び、プロ野球を…」の気運が高まるのは自然の流れだった。

オリックスの誘致活動に携わり、実現後は「宮古島協力会」の副会長として円滑なキャンプ運営に尽力した平良勝之さん(72)は水面下で動き出した。「オリックスへの愛着は強いですよ」と笑いながらも「(各球団に)アタックはしていこうと思っています」と意欲的に話す。

老舗ホテル「ホテルニュー丸勝」の会長で、島内の高校を甲子園大会出場へと後押しする「宮古島甲子園プロジェクト」の会長も務める。かつてのように島の子どもたちに、プロの技術と取り組む姿勢を見せてあげたい。だからこそ、30年ぶりのプロ野球キャンプの誘致に動き出した。

清原和博が古傷に塗り込んだ泡盛も貯蔵

止まっていた針は動き出した。ただ同時に、いまだオリックスは島民から愛されていることも事実だ。市と協力会は仰木氏が亡くなった翌年の06年に、故人が座右の銘としていた「信汗不乱」の文字を記した顕彰碑を宮古島市営球場の正面に建立。扇型の碑は現在でも大事に管理されている。

さらに「琉球王朝」などの泡盛製造で知られる「多良川」の酒蔵には、オリックス戦士の泡盛の瓶も貯蔵されている。同社は95年のリーグ制覇、96年の日本一を記念し、仰木彬監督に14升壺を贈呈。その後はタイトルを獲得した選手に対して贈ってきた。

07年には、移籍2年目の清原和博氏が1年の活躍を願い、仰木氏の泡盛を古傷の左膝に塗り込んだこともある。貯蔵庫である洞窟「ういぴゃーうぷうす蔵」には、泡盛だけではない。オリックスの記憶や歴史も鮮明に残っている。

酒蔵に貯蔵されている泡盛の14升壺


「多良川」の砂川拓也社長(51)は「皆さん、ちょうど飲み頃になってきたでしょう。飲みに来ていただくまで、大事に保管させていただきますから」と穏やかに話した。一般的に泡盛は製造後、寝かせれば寝かせるほどに熟成され、まろやかな味わいになると言われる。変化しつつある宮古島。だが、人々の温かさはいつまでも変わらない。

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