2021年は鈴木誠也が両リーグトップの11敬遠を記録
敬遠(敬遠四球)は野球規則上「故意四球」と呼ばれる。投手が打者に故意に四球を与えて歩かせることだ。英語では「意図的な四球:intentional base on balls (IBB)」と呼ばれる。
敬遠四球は投手がその打者との勝負を避け、わざと四球を与えて次打者と勝負するときに用いられる。なお敬遠はNPBでは1955年以降、公式記録になった。それ以前の記録は不明だ。
2021年セ・パ両リーグの打者について、敬遠四球数をランキングすると、下表のようになる。
セ・リーグトップの鈴木誠也は首位打者、OPSはリーグ1位、パ1位の柳田悠岐は最多塁打、OPS3位、パ2位の吉田正尚は首位打者、OPS1位。各チームの主力打者が上位に並ぶ中で、パの4位タイには昨年限りで引退したソフトバンク・長谷川勇也の名前がある。代打専門だったが、現役最終年でも投手に恐れられていたのだ。
では、NPBの通算敬遠四球ランキングはどうなっているだろうか。
868本塁打の王貞治が敬遠数でもダントツ
1位はアンタッチャブルな本塁打記録を持つ王貞治。敬遠数も圧倒的だ。2位はこれもダントツの安打記録を持つ張本勲。3位には長嶋茂雄が入っている。
王と長嶋は16年にわたってチームメイトだった。長嶋は1960、61、63年とセ・リーグ最多敬遠だったが、王が一本足打法を会得してからは完全に逆転される。王は1964年から16年連続リーグ最多敬遠、1974年にはNPB史上最多の45敬遠を記録している。
4位にはパ・リーグ最多の657本塁打を誇る野村克也、5位はこれに次ぐ567本塁打の門田博光。さらに6位は三冠王3度の落合博満と強打者が並んでいる。しかし7位、10位には捕手の谷繁元信と中村武志とセ・リーグの捕手の名前がある。DH制のないセ・リーグでは、捕手は投手の前の打順である8番を打つことが多い。ピンチでは捕手との勝負を避けるために敬遠されることが多いのだ。
1960年までセ・パ両リーグの敬遠数は総計で100前後だったが、1960年以降、その数は増加していく。巨人に長嶋茂雄、王貞治というずば抜けた打者が登場したことが大きい。ONが全盛期だった1966年のセ・リーグは、敬遠数が初めて200に上った。強打者に対して「敬遠」という戦術が定着したと言ってよいだろう。
ただ、1975年からパ・リーグはDH制を導入したが、以後、敬遠数は減少する。投手の前を打つ捕手の敬遠がなくなったからだ。
個人の敬遠数は、1974年に王が記録した45敬遠をピークに減少していく。トータルの敬遠数は両リーグ合計で300~400個前後で推移しているので、全体の敬遠数が減少したわけではない。ONの時代とは異なり、戦力が均衡化したのが要因だろう。特定のチームだけでなく各チームに強打者がいる時代となり、敬遠数もばらけるようになったのだ。
異彩を放つイチロー、歴代4位の最多敬遠を記録
しかし、リーグ最多敬遠の選手が、リーグを代表する強打者であることは変わらない。リーグ最多敬遠を記録した回数のランキングを見てみよう。
王、張本、門田は通算敬遠数でも5位以内に入っている。3人とも500本塁打以上を打ち、リーグ屈指の長距離打者だった。
異色の存在なのが4位のイチローだ。1995年から2000年まで6年連続で最多敬遠を記録しているが、本塁打は1995年の25本塁打が最多。長距離打者とは言えないが、パ・リーグの投手は好機でイチローとの勝負を避けたのだ。
イチローのこの傾向はMLBに移籍してからも続く。アメリカン・リーグ最多敬遠を3回記録。2002年には27個の敬遠四球を記録している。MLB通算181敬遠は、MLB歴代でも28位だ。
基本的に敬遠は、長距離打者との勝負を避けるために選択するもの。だが、イチローのように長打こそ少ないが、極めて高い確率で安打を打つ打者はホームランがそれほど多くなくても敬遠されるのだ。イチローのはるか後輩、オリックスの吉田正尚も2018年から3年連続で最多敬遠。同じ傾向の打者だと言えよう。
球場の大型化、統一球、申告敬遠…時代による変化
2002年、当時のNPB記録に並ぶ55本塁打を打った西武のアレックス・カブレラが29敬遠を記録して以後、シーズン20敬遠を記録した打者はいない。
また2010年以降、シーズン二けた敬遠を記録した打者もいなくなった。球場の大型化、2011年の反発係数の低い「統一球の導入」などが影響していると思われる。2015年のセ・リーグの最多敬遠は、DeNAのホセ・ロペスでわずか「3」だった。
このまま敬遠は「絶滅危惧種」的な記録になっていくかと思われたが、NPBが2018年に「申告敬遠」を導入して以降、再び増加している。
上の表から、2018年以降、敬遠数が急増しているのがわかる。この年、巨人の坂本勇人とオリックスの吉田正尚が10敬遠。9年ぶりに二けた敬遠を記録した。特にDH制がなく、投手が打席に立つセ・リーグでの増加が著しい。
これまで敬遠四球は、投手が立ち上がった捕手に向かってボールを投げる必要があった。敬遠はベンチの指示で行うことが多いが、「投手が勝負を避けた」ような印象を与える。そのため、中には敬遠を嫌がる投手もいた。
1999年10月5日のヤクルト戦、巨人のルーキー上原浩治は20勝がかかる先発のマウンドに立っていたが、7回のペタジーニの打席でベンチは敬遠の指示を出した。ペタジーニは上原のチームメイト松井秀喜と本塁打争いをしていたからだ。上原はベンチの指示に従いペタジーニを歩かせたが、悔し涙を流した。
ベンチにしても投手に敬遠四球を指示するときには、どうしても気を遣う。だが、申告敬遠はベンチの指示だけで投手は何の動作もしないので、投手の心理的な圧迫感が少ないのだと思われる。
「敬遠四球数」は目立つ数字ではないが、プロ野球のスタイルの変遷とともに、様々に変化しているのだ。
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