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打者転向を本気で考えていた松坂大輔、もし「二刀流」の選択肢があったら…

2021 12/23 06:00柏原誠
松坂大輔,ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

ついに引退した「平成の怪物」

「平成の怪物」松坂大輔投手(41)が現役を引退した。12月4日に行われた西武のファン感謝デーでの引退セレモニーでは、イチロー氏(48)がサプライズで登場。かつてパ・リーグで名勝負を演じてきた豪腕は、粋な演出に思わず涙を流した。

TVの中で見ることの多かった松坂大輔に、少し触れることができたのは彼の中日時代だった。ソフトバンクで3年間1試合登板という屈辱的な年月を過ごしたあと、声がかかったのは西武時代から知る森繁和監督(当時)が率いる中日だった。

低迷していた中日が、活躍する保証のないビッグネームを獲得してどうするのか。批判の声が渦巻く中、松坂は大方の予想に反してよみがえった。

開幕早々の復活勝利に始まり、年間6勝でカムバック賞を受賞。オールスターにもファン投票の先発投手部門1位で選ばれた。華麗なる怪物復活は驚きをもって受け止められた。

横浜高時代は通算14本塁打、キャンプでも連日の猛スイング

個人的に、セ・リーグの水は合っていたのだと思う。「バッティングは大好きですよ。守備もその次に好きです」。よくそう言って笑っていた。

セ・リーグに指名打者(DH)制はなく、投手も打席に立つ。セ・リーグにいることで野球小僧の血が…。そんな単純な図式でないことは当然分かっているのだが、首をひねりながら右腕を振るキャッチボールより、ナゴヤドームやナゴヤ球場でバットを握りマシンと向き合う松坂は生き生きとしていた。

キャンプでは毎日のようにマシンと向き合い、100スイングは当たり前。左打席でも見事な打球を飛ばした。投手陣によるフリー打撃でも別格だった。投球に関しての質問には口が重たくても、打撃の話になれば何でも話してくれた。

横浜高校では通算14本塁打。春夏連覇した甲子園でも4番を打っていた。プロ入り後はパ・リーグの西武に所属したため打力を披露する機会は少なかったが、交流戦でも本塁打を放っている。

一心不乱に打撃練習したソフトバンク時代

故障と闘い続けたソフトバンク時代、松坂は打者転向を本気で考えていた。肘、肩の故障で思うように投げられない。ストレスが高まるばかりのある日、一心不乱に打撃練習を行う姿があった。キャンプ中の野手のようなスイング量、鬼気迫る表情に、近い関係者は「打者転向してもおかしくなかった」と証言する。

森監督は「それ(打力)でアイツを取ったんだ。1打席打つだけで負けを消すことができる。(打順は)8番がいいとは限らないし、7番だっていい」と、本気とも冗談ともつかないコメントを発したこともあった。その後復帰した古巣の西武でまた故障に泣き、2年で1軍登板のないまま引退したことを考えると、もし本当に「打者転向」を選んでいたらどうなっていたのかと妄想が膨らむ。

今年の流行語大賞は「リアル二刀流」だった。エンゼルス・大谷翔平の投打にわたる活躍を表現したもの。プロの世界で投手をしながら打撃もすることは、日米で歴史的な快挙と騒がれた。

「平成の怪物」は、用意された引退試合で打者1人に四球を与えて、現役生活を終えた。これまでの苦闘を物語る「ありのままの現実」を隠すことなく見せて、グラウンドを去った。

本来は、投げて、打って、走って、守ってとグラウンドを駆け回るのが好きな野球小僧。いつか聞いてみたい。「二刀流」の選択肢があったとしたらどうしていましたか、と。きっと今、大谷の活躍を祝福する気持ちの一方で、悔しそうな顔もしていることだろう。

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