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「10.19」から33年、交錯した近鉄とオリックスがようやく1つになる日

京セラドーム大阪,ⒸOsaze Cuomo/Shutterstock.com
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ⒸOsaze Cuomo/Shutterstock.com

1996年以来25年ぶりの優勝目指すオリックス

パ・リーグでオリックスとロッテが激しい優勝争いを演じている。オリックスがリーグ優勝すれば、日本一に輝いた1996年以来25年ぶり。12球団で最も優勝から遠ざかっているだけに、もし頂点に立てばさすがに阪神ファンの多い関西も盛り上がるだろう。ましてやセ・リーグでその阪神が優勝すればなおさらだ。

1996年のオリックスはイチローがプロ5年目の22歳。1994年に当時NPB最多記録の210安打をマークし、阪神・淡路大震災の起きた翌1995年は「がんばろう神戸」を合言葉にチーム一丸となってリーグ優勝。日本シリーズでヤクルトに敗れたものの、1996年はリーグ連覇、日本シリーズでも巨人を破って日本一となった。

名将・仰木彬監督の下、現監督の中嶋聡や現外野守備走塁コーチの田口壮、「星の王子さま」と呼ばれた左腕・星野伸之ら充実した戦力を誇っていた。あれから四半世紀。神戸の街は復興し、輝きを取り戻したが、オリックスは強さを取り戻せないままだった。止まった時計が再び時を刻み始めるのも、もうすぐかも知れない。

2004年にオリックスと近鉄が合併

だが、オリックスはもうひとつ重い荷物を背負っている。2004年に合併した近鉄の歴史だ。

今さら説明の必要もないが、元々はオリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズという違うチーム。オリックスの前身の阪急時代から、同じ関西の私鉄を親会社とする球団としてライバル関係にあった。

ところがパ・リーグ各球団の経営難から巨人戦の放映権料を目当てにした1リーグ構想が表面化。現場を無視した親会社同士の一方的な合意に、当時の両球団の選手たちは合併反対の署名活動を行った。

合併反対、2リーグ制維持の気運は他球団にも波及して日本中で議論を呼び、ついに古田敦也会長率いるプロ野球選手会が史上初のストライキを決行したのが2004年9月だった。なんとかパ・リーグは存続したものの、オリックスと近鉄の合併は止められなかった。

合併でイメージ一新も「バファローズ」は存続

そうして誕生した合併球団がオリックス・バファローズ。当初は近鉄も出資していたため、ユニフォームの左肩には「近鉄」のワッペンが貼られ、大阪府と兵庫県のダブルフランチャイズだった。

しかし、数年で近鉄は球団から完全撤退し、本拠地は大阪ドームに一本化。野武士集団の近鉄とは全くイメージの異なるオリックスが新たに大阪唯一のプロ野球チームとなり、鈴木啓示氏が現役時代につけていた近鉄の永久欠番「1」は後藤光尊が背負った。

さらに、大阪市の第3セクターだった大阪ドームもオリックスが買収し、神戸よりマーケットの大きい大阪で球団経営を成功させるために着々とプロジェクトを進行。両球団の選手たちは分配ドラフトでオリックスと新規参入した楽天に振り分けられたが、オリックスに加入した旧近鉄戦士が戦力外通告を受けたり、トレードされたりするたび「近鉄色一掃だ」と揶揄する声が上がった。

ただ、大阪の新球団としてイメージ一新を図ったオリックスも「バファローズ」の愛称だけは変えなかった。その裏には、旧近鉄ファンの感情を逆なでしたくない意図が透けて見えた。

合併とはいえ、吸収された側の近鉄ファンは複雑な思いを抱える人が少なくなかったが、かつての南海ファンが身売りしても福岡ダイエーを応援したように、バファローズだから応援するという心理が働いたとしても不思議ではない。合併のスケールメリットを活かすには、近鉄ファンのハートをつかんでおく必要があったのだ。

球団合併後はAクラス2回のみ

しかし、マイナスに捉えられることの多かった球団合併と軌を一にするかのように、1990年代はあれほど強かったオリックスが長期低迷に陥る。

合併球団として戦った2005年以降、Aクラス入りしたのは2008年と2014年のわずか2回(ともに2位)。新規開拓するはずだった大阪のマーケットは、ますます阪神タイガース一色となった。

球団合併から17年。二軍施設も神戸から大阪・舞洲に移転し、長い長い時間をかけてオリックスは大阪の街に定着しつつある。近鉄が最後に優勝したのは2001年だから、今年頂点に立てばバファローズとしては20年ぶりの優勝だ。

近鉄が涙を呑み、オリックスが誕生した10.19

そして、近鉄関係者やファンが決して忘れないのが「10.19」。1988年10月19日、川崎球場で行われたダブルヘッダーで連勝すれば優勝という状況下、第2試合が無念の延長10回時間切れ引き分けとなり、西武にペナントを譲った伝説の1日だ。

あの時、仰木近鉄の優勝を阻んだのがロッテだった。第2試合の9回裏、阿波野秀幸の二塁牽制タッチアウトを巡ってロッテ・有藤通世監督がベンチを飛び出して猛抗議したため9分間、試合が中断。あの9分間に試合が進行していれば、時間切れとならず延長11回に突入していた可能性もあった。

結果論とはいえ、あの悔しさを忘れた近鉄関係者やファンはいないはずだ。積年の恨みではないが、バファローズがまたしてもロッテに優勝を阻まれる訳にいかない。33年越しのリベンジと言うと、感傷的すぎるだろうか。

10.19はオリックスにとっても決して他人事ではない。阪急がオリエントリース(現オリックス)への身売りを発表したのが、この日の夕方。パ・リーグの優勝争いそっちのけで、名門球団身売りという衝撃のニュースが全国を騒がせた。事実上のオリックス・ブレーブス誕生。10.19が「パ・リーグの最も長い1日」と語り継がれるのも、2つのドラマが交錯したからだ。

あれから33年。因縁のロッテを倒して頂点に立った時、長く重い歴史を持つ2つの球団はようやく本当の意味で1つになれるかも知れない。今年の10月19日(火)は京セラドーム大阪でオリックス-楽天戦が組まれている。Xデーが重なることを密かに夢想している。

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