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沢村栄治、川上哲治、長嶋茂雄、王貞治の最後のチームメイト5人は?

2021 10/11 06:00広尾晃
王貞治,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

沢村栄治の現役時代を知る最後の現役選手は青田昇

今年は日本プロ野球のペナントレースが始まって丸85年になる。最初のスーパースターといえば巨人の沢村栄治だろう。ここからプロ野球の歴史が始まったと言ってよい。

沢村はプロ野球が始まった1936年にデビュー。1936年秋、37年春シーズンに最多勝、ノーヒットノーラン3回という伝説の記録を残したが1938年陸軍に徴兵され2年間従軍した。

1940年に復帰したが、1941年10月に再び徴兵され1943年に再度巨人に復帰するも2回の軍隊生活で肩を痛めシーズンオフに解雇された。そして1944年に再び徴兵されて12月に戦死した。

沢村のチームメイトで、最後まで現役だった「最後の5人」は以下の顔ぶれだ。選手の年齢は沢村が最後に巨人に在籍した1943年のものだが、川上と中尾は1942年オフに徴兵され沢村とチームメイトだったのは1941年以前となるため、2人は1941年時点の年齢としている。

沢村栄治チームメイト最後の5人


「じゃじゃ馬」と言われた強打者・青田昇が沢村を知る最後の現役選手。阪急、大洋に移籍し、1959年まで現役でプレーした。青田は後年「沢村さんはすごかった」と語っているが、チームメイトだったのは沢村が肩を痛めてサイドスローに転向した1943年だけだ。

川上哲治は1940、41年とチームメイトだったので、もう少し元気だった沢村を知っている。1936、37年の全盛期を知る最後の現役選手は台湾出身で「人間機関車」と言われた呉昌征ということになる。この5人は全員が野球殿堂入りしている。

川上哲治はルーキー長嶋茂雄と1年間ともにプレー

戦前は投手もやった川上哲治だが、1942年から打者一本になり、首位打者5回、本塁打王2回、打点王3回、MVP3回。NPB史上初の2000安打も記録し「打撃の神様」と呼ばれた。

川上哲治を知る「最後の5人」は以下の通り。

川上哲治チームメイト最後の5人


立教大・長嶋茂雄が通算8本塁打の東京六大学記録を引っ提げて巨人に入団したのは1958年。川上哲治と年齢差16差の中軸コンビとなったが、長嶋はいきなり本塁打、打点の二冠王に輝いた。後釜の4番打者ができたことを見届けて川上はこの年限りで引退した。

川上は1961年に巨人の監督になり、1965年から空前の「V9」を記録するが、これを牽引したのが長嶋茂雄と名捕手の森昌彦だ。2人はV9が途切れた翌年の1974年にそろって引退。2人が川上の現役を知る最後の選手となった。

なお、王貞治は川上が引退した翌年の1959年に入団しているため、現役時代は重なっていない。ともに一塁手。川上が正一塁手になった1938年から、王貞治が引退する1980年までの42年間、巨人の一塁手は川上哲治、王貞治のたった2人だった。

長嶋茂雄のチームメイト新浦寿夫と淡口憲治は平成まで現役

長嶋茂雄の「最後の5人」を見ていこう。

長嶋茂雄チームメイト最後の5人


1974年10月、「巨人軍は永遠に不滅です」という言葉を残して引退した長嶋の姿を巨人軍のユニフォームを着て見届けた選手のうち、平成の声を聞くまで現役だったのは、新浦寿夫、淡口憲治の2人。ともに巨人から他球団に移籍してキャリアを重ねた。

新浦は静岡商業高校を中退して巨人に入団した左腕投手。巨人を退団してから韓国プロ野球(KBO)で3シーズン投げたのちに大洋、ダイエー、ヤクルトでプレー。引退したのは41歳だった。

王貞治のチームメイトは多くが「ポストV9戦士」

王貞治は長嶋茂雄と1959年から74年まで16シーズン中軸を組み、「ONコンビ」と呼ばれた。間違いなく史上最強の中軸コンビだったが、王は長嶋引退後も6年間現役を務め、868本塁打というアンタッチャブルな記録を残して1980年に引退した。

王貞治の「最後の6人」はこうなる。

王貞治チームメイト最後の5人


たった6年の差だが、長嶋と王ではガラッと顔触れが変わる。共通しているのは新浦だけだ。

長嶋は引退した翌年には巨人の監督になったが、自分の抜けた穴を埋めるべく若手の有望選手を続々と獲得した。そういう顔ぶれが、孤塁を守る王貞治の周辺で一人前の選手に育っていった。

王貞治の「最後の6人」はほとんどが「ポストV9」「ポスト長嶋茂雄」の世代だったのだ。

次世代の中心打者・原辰徳が巨人に入団したのは、王貞治が引退した翌年の1981年。原辰徳は1995年に引退。1993年に松井秀喜が入団しているから、2人は現役が3年重なっている。

2001年に阿部慎之助が巨人に入団。翌年オフに松井がMLBに移籍したから松井と阿部は2年重なっている。そして阿部慎之助は、今の巨人のレジェンド坂本勇人と長く中軸を組んだ。

あと1年、王貞治が現役を続けていたら、沢村から川上、長嶋、王、原、松井、阿部、坂本とレジェンドの現役リレーがつながるところだった。

ただ、こうした「純血選手の現役リレー」は、FAなどで大物選手の移籍が当たり前になった現代の野球では現実的な話題ではなくなっている。

MLBでもベーブ・ルースとコンビを組んだルー・ゲーリッグの現役晩年にジョー・ディマジオがデビュー。そしてディマジオの現役晩年にミッキー・マントルというところまではつながるが、以後、ヤンキースは主力選手を他球団から獲得するようになってリレーは途切れている。

オールドファンにとって「長嶋と篠塚は一緒にプレーしたことがあったか?」みたいなトリビアは面白い話題ではあったが、最近のプロ野球ではそういう遊びはできなくなってきているのだ。

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