8月25日阪神戦で新人初、プロ野球史上75度目
DeNAの牧秀悟が8月25日の阪神戦(京セラドーム大阪)でプロ野球史上70人目75度目、新人では史上初のサイクルヒットを達成した。
2回に伊藤将司からライトオーバーの二塁打を放つと、3回には右中間に14号3ラン。さらに4回に齋藤友貴哉から2点タイムリーとなるセンター前ヒット、第4打席は凡退したが、9回の第5打席に岩貞祐太から右翼線三塁打を放った。
5打数4安打5打点の大活躍でチームの勝利にも貢献。7月は月間打率.194と調子を落としていたが、五輪期間の中断明けから調子を上げている。
藤村富美男が史上初、ロバート・ローズは3度達成
1試合で単打、二塁打、三塁打、本塁打を記録する「サイクルヒット」は、スタンドに放り込むパワー、三塁まで到達するスピードが必要で、運の要素もあるため、プロでも達成は難しい。
868本塁打を放った王貞治でさえたった1度しか記録しておらず、657本塁打の野村克也や567本塁打の門田博光、525本塁打の清原和博、510本塁打の落合博満は達成していない。
日本プロ野球史上初の達成者は、阪神の「初代ミスタータイガース」藤村富美男だった。
藤村は1リーグ時代の1948年10月2日、金星戦でマークした。翌1949年4月には同じく阪神の金田正泰が南海戦で記録している。
1950年の2リーグ分立後、セ・リーグでは37人が40度達成している。
1950年5月25日に藤村が2度目のサイクルヒットを達成。青田昇(洋松)や川上哲治(巨人)ら大打者が名を連ねている。
1963年4月25日の阪神戦で王貞治が初めて達成。その後、セ・リーグではしばらく記録されなかったが、1976年7月7日に衣笠祥雄(広島)、その2日後に若松勉(ヤクルト)が達成した。
その後も長崎慶一(大洋)や真弓明信(阪神)、山本浩二(広島)らそうそうたる名前が並ぶ。1995年と1997年、1999年にはロバート・ローズ(横浜)が3度達成。2003年には侍ジャパンを率いて東京五輪で金メダルに輝いた稲葉篤紀(ヤクルト)も達成した。
福留孝介は中日時代の2003年と阪神時代の2016年の2度達成。牧が達成するまで最新の記録だったのは、2019年4月9日のDeNA戦でマークした梅野隆太郎(阪神)だった。
パ・リーグで直近の達成は柳田悠岐
パ・リーグでは32人が33回達成している。
「青バット」の大下弘(西鉄)は1954年7月15日の阪急戦で達成。通算3085安打の張本勲(東映)は1961年に記録している。
外国人で初の達成は、1965年7月16日のダリル・スペンサー(阪急)。通算1065盗塁の福本豊(阪急)は1981年5月21日の西武戦で記録した。
「史上最高のスイッチヒッター」と呼ばれた松永浩美は阪急時代の1982年とオリックス時代1991年の2度達成。秋山幸二(西武)や中村紀洋(近鉄)、松井稼頭央(西武)らも名を連ねている。
パ・リーグで直近に記録したのは柳田悠岐(ソフトバンク)。2018年4月21日の日本ハム戦で、フリオ・ズレータ(ロッテ)以来リーグ11年ぶりの達成となった。
DeNAが10回で最多、続く8回の中日
最後に球団別に達成回数を集計したのが下の表だ。
1リーグ時代や前身球団を含めて最もサイクルヒットが多いのはDeNA。1950年の門前真佐人から青田昇、近藤和彦、長崎慶一、ロバート・ローズ(3度)、ボイ・ロドリゲス、桑原将志、牧秀悟の計10回となっている。
次いで多いのが中日。1953年の原田徳光から前田益穂、立浪和義、井端弘和、福留孝介、アレックス・オチョア、大島洋平、平田良介の8人がマークしている。意外にも巨人は川上哲治、王貞治、広沢克、仁志敏久、小笠原道大の5回しかない。
パ・リーグでは西武とオリックスが7回で最多。西武は大下弘、小淵泰輔、和田博実、岡村隆則、秋山幸二、松井稼頭央、細川亨、オリックスは東谷夏樹、渡辺清、スペンサー、福本豊、松永浩美(2度)、ホセ・オーティズが達成した。2005年から新規参入した楽天からはまだ達成者が出ていない。
いずれにせよ、達成者は一流と言っていい選手ばかり。二軍から上がってきたばかりの選手が簡単に達成できるような記録でないことは間違いない。
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