3球団をわたり歩いたリリーバー
藤岡好明はルーキーイヤーの2006年からセットアッパーとしてフル稼働し、当時のパ・リーグ新人最多記録となる62試合に登板。翌年からは相次ぐ故障に悩まされながらも、8年間にわたりソフトバンクの投手陣を支えた。
その後は14年に日本ハム、16年にDeNAへ移籍。不本意な成績のシーズンが続いたものの、19年には32登板で防御率1.86をマークし、再び存在感を示した。しかし、翌20年は長い二軍生活が続き、オフに戦力外通告を受けて引退を決断。3球団をわたり歩いたリリーバーが、15年間の現役生活に別れを告げた。
プロ1年目は62登板で許した本塁打がゼロ。打者の手元で動く変化球を武器に、被本塁打率で球界屈指の数字を残した。21年からはDeNAの二軍投手コーチに就任。今後は指導者という新たなステージで後進の育成に尽力する。