35歳を過ぎて阪神に復帰、4年連続で40登板をクリア
阪神・藤川球児はリリーフに専念した2004年に頭角を現すと、翌05年には最優秀中継ぎ投手のタイトルに輝く活躍でリーグ優勝に大きく貢献。守護神の座についた07年には、当時のNPB記録に並ぶシーズン46セーブを挙げた。
12年までチームの救援陣をけん引すると、その後はメジャーリーグや四国ILplusでプレー。35歳を過ぎて阪神に復帰してからも、4年連続で40登板をクリアするなど健在ぶりを示した。しかし、今季は故障の影響もあって調子が上がらず、ついに引退を決意。虎党を沸かし続けた剛腕が19年間の現役生活に別れを告げた。
プロ1年目にあたる1999年以降の奪三振率がNPBトップの藤川は、三振にまつわる幾多の名シーンを生み出した。
06年の球宴における西武・カブレラとの対決はとりわけ有名で、握りを見せて投げ込んだ予告ストレートで見事に空振り三振を奪い、多くのファンを魅了した。“火の玉”と評された剛速球を武器とした、記録にも記憶にも残る不世出の投手であった。