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坂口智隆は2000安打に届くか?幾多の試練乗り越えた「神戸のヤンチャ坊主」

2020 12/21 06:00楊枝秀基
ヤクルト・坂口智隆ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

最後の近鉄戦士、2011年に最多安打

簡単にクリアできる数字ではないだろう。だだ、苦労人が1本、1本と積み重ねる安打がそこに到達する未来を信じたい。近鉄バファローズ出身最後の野手となったヤクルト・坂口智隆外野手(36)は名球会入りとなる2000安打を達成できるのか。その道のりを検証する。

坂口は2002年ドラフト1位で近鉄から指名を受け入団。神戸国際大附高時代は投手だったが俊足、強肩の身体能力を買われ、外野手としてプロのスタートを切った。1年目の2003年からウエスタン・リーグで打率3割を残すなど実力の片鱗を見せた。潜在能力の高さを認められ1軍出場も果たしている。

ただ、本格的に1軍の戦力となったのは球団合併でオリックス所属となった後の6年目、2008年からだ。チーム最多の142試合に出場し150安打を記録。自身初となるゴールデングラブ賞も受賞した。

独特のフォームで左打者、早いカウントから積極的に打つスタイルもあって、イチローの再来とも言われた。背番号もイチロープラス1の52番とあって、打席に入る際には「グッチー」の掛け声と共に登場し、一気に人気選手となった。

そのままレギュラーを掴み2009年、2010年は連続で打率3割、ゴールデングラブ賞を獲得。2011年には144試合、フルイニングに出場し175安打で自身初タイトルとなる最多安打を記録した。同年は3年連続3割こそ逃したが、4年連続のゴールデングラブ賞を獲得するなど、その地位は確固たるものとなった。

大幅減俸を提示され自由契約を選ぶ

順風満帆の野球人生。男気あふれ、後輩にも慕われる性格とあってチームリーダーとして将来を嘱望されていた。だが、好事魔多しというものか…2012年5月の交流戦、巨人戦でダイビングキャッチを試みた際に、右肩肩鎖関節を脱臼。この故障をきっかけに成績が急降下した。

2012年から2015年まで成績が低迷。チームも若手起用の方針を打ち出し、目に見えて出番が減少した。最高で1億3500万円にまで上がった年俸も半減していた。2015年はシーズン早々の5月上旬に登録抹消され、そのまま一軍に呼び戻されることはなかった。

右肘の故障などはあったとはいえ、ウエスタン・リーグでは出場を継続。本人も「僕としては全然できる自信がある」と意気込んでいたが、水面下では大人の綱引きがあった。

次シーズンへ向けての下交渉では減額制限を大幅に超える金額提示を受けた。当時の年俸7500万円から1軍最低年俸の1500万円に迫る下げ幅に、坂口は大きなショックを受けた。当時の瀬戸山球団本部長は「(球団発展の)功労者とは認めるが、それだけでお金は出せない」と、半ば戦力外のような扱いを正当と主張された。

坂口は熟慮の末、自由契約を申し出た。その時点では獲得に名乗りを挙げる球団が存在するか保証はなかったが「どこもなかったら、それまでの選手だったということ。潔く辞めます」と、退路を断ってオファーを待った。

ヤクルトが獲得を表明すると、神戸市内で行われたプライベートの壮行会で「世話になったオリックスを見返すのではなく恩返しします。拾ってもらったからにはヤクルトで絶対に結果を出します」と決意を表明した。

同い年の雄平、長野久義、長谷川勇也を上回る安打数

ヤクルトではV字復活を遂げた。2016年から3年連続で150安打以上をマーク。2019年は開幕直後の怪我でシーズンを棒に振ったが、2020年10月19日の阪神戦で1500安打を達成した。シーズン終了時点で1506安打。来年7月で37歳となるが、ここから40歳となる2024年まで120安打ペースでいけば、通算2000安打も見えてくる。

坂口はロサンゼルス五輪が行われた1984年生まれ。同い年の選手ではチームメートの高井雄平、広島・長野久義、ソフトバンク・長谷川勇也らがいる。

ただ、雄平は投手から野手転向したため、今季終了時点で通算881安打。プロ入りが遅かった長野は1392安打と意外に数字は伸びていない。2013年にシーズン200安打にあと2本と迫る198安打を記録した長谷川も選手層の厚いソフトバンクに在籍とあって、通算1082安打と思ったように数字を伸ばせていない。

「1500安打打ってる選手で僕が一番地味じゃないですか」と本人は謙遜するが、2020年終了時点で84年世代最多安打を記録しているのは坂口ということになる。

今季は巨人の坂本勇人が歴代2位の31歳10カ月の若さで2000安打をクリアした。近年の野球界は打高投低傾向にあり、打者有利とされてはいるが、簡単な記録でないことは変わらない。

入団した近鉄が合併で消滅。絶頂期からの大怪我、自由契約からの復活劇。神戸のヤンチャ坊主は時を経て、神宮の杜のベテランヒットマシンに変貌を遂げた。地味だろうがなんだろうが、2000という数字は打者にとっての金字塔。ここをモチベーションに坂口には、しぶとく現役で安打を積み重ねてもらいたい。

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