3年連続60試合登板
五十嵐亮太はプロ入り3年目の2000年に自身初の開幕一軍入りを果たすと、以降はリリーフとしてフル回転の活躍。04年には最優秀救援投手のタイトルを獲得するなど、3年連続での60試合登板をクリアした。
10年からはメジャーリーグに挑戦すると、3年間にわたって海の向こうでプレー。13年に日本球界復帰を果たすと、14年にはリーグトップの44ホールドを挙げ、チームの日本一に貢献した。
19年には10年ぶりに古巣ヤクルトに復帰し、5月にはNPB通算800試合登板を達成。しかし、今季はコンディション不良で一軍での登板機会がなく、10月に現役引退を表明した。
プロ入り以来、リリーフひと筋で積み重ねた登板数は日米通算で906。NPBでは歴代2位となる救援登板数を記録した。自慢の剛速球でファンを魅了した背番号53は、慣れ親しんだ神宮のマウンドで現役生活に終止符を打った。