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巨人・原監督「読売グループ内の人事異動」から名将に上りつめ涙の8度目優勝

2019 9/21 21:13楊枝秀基
自身8度目のリーグ優勝を達成した原監督ⒸSPAIA
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延長10回逆転勝ち、ハマの夜空に8度胴上げ

現代の名将だ。後世には平成、令和をまたいだレジェンド監督として語り継がれるだろう。

巨人・原辰徳監督が自身8度目となるリーグ優勝を達成。その瞬間、目を涙で真っ赤にしながらマウンドに向かうと、監督としての優勝回数、現役時代の背番号と同じ8度、宙を舞った。同球団の指揮官として第3次政権となるが、いずれの時代にもリーグ制覇を成し遂げた初めての人物となった。

「非常に新鮮ですね。それと、年をとると涙腺が弱くなりますね」。インタビューで涙の理由を問われ、そう答えた。

マジック2で迎えた敵地・横浜でのDeNA戦。2点を先制されて重苦しい展開だったが、9回にようやく追いつき延長戦に突入すると、10回2死一、三塁から増田大が中前に決勝タイムリー。その裏をデラロサが締め、5年ぶり37度目の優勝を果たした。

原監督は球団ワーストタイだった4年連続V逸のチームを率い、就任1年目で優勝。盤石とはいえず、発展途上のチームを勝てる集団に鍛え上げ、広島の4連覇を阻んでみせた。

セ優勝チームⒸSPAIA

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シーズン中の采配手腕や選手起用についても、語り出せばキリがないだろう。だが、監督としての勝利数や優勝回数はまばゆいばかり。巨人軍の歴史に名を刻む名将の、輝かしくも険しい道のりを辿っていく。

天国から地獄だった第1次政権

原監督が初めて巨人の監督に就任したのは2002年だった。上原浩治を中心に、桑田真澄、高橋尚成、工藤公康に加え高卒新人の真田裕樹でローテを組み、守護神には河原純一を抜擢。

打撃陣は4番・松井秀喜を筆頭に清原和博、江藤智、高橋由伸、仁志敏久、清水隆行、二岡智宏、阿部慎之助と、相手投手にとって逃げ場のない布陣を敷いた。

終わってみれば、2位のヤクルトに11ゲーム差をつけての独走でリーグ優勝。日本シリーズも西武に4連勝のストレートで制し、圧倒的強さで日本一となった。

巨人黄金時代の到来か。そういった雰囲気もあったが好事魔多し…。2003年には天国から地獄へと叩き落されることとなる。

不動の4番だった松井秀喜がオフにFAで米大リーグ・ヤンキースへ移籍。主力の故障も重なり攻撃力低下は否めなかった。

さらに、投手陣は大きく成績を下げチーム防御率が3.04から4.43に下落。18年ぶりのリーグ優勝を果たした阪神の勢いに屈し3位に終わった。シーズン終盤に9連敗を喫した際に当時の原監督は、苦い思いを胸に任期を残したまま辞任を表明した。

「全権」求めてオーナーの反感買う

当時、原監督は45歳と若かった。指揮官としての理想型を目指し精力的に行動した。2002年は投手起用について、自ら招聘した鹿取義隆ヘッドコーチに完全に任せていた。

ただ、2003年には自らの考えを優先させる場面も見受けられるようになった。そして、結果は裏目に出た。

さらにはコーチ人事やチーム編成でも、自らの考えが反映されるよう強い希望を表すようになった。これが当時の渡邉恒雄オーナーの心象を悪くさせた。

「原くんにカリスマ性などない」と取材陣の前で不快感を示したこともあった。同オーナーの腹心だった三山秀昭新球団代表との確執も表面化し、原監督は徐々に追い込まれていった。

結局、次期組閣へ向けて動き出していた原監督は「不甲斐ない成績に終わったのは全て私の責任」と無念のまま辞任。特別顧問に納まり「読売グループ内の人事異動」とまとめられたが、本意ではなかったことは明らかだ。

第2次政権で2度の3連覇

ただ、そこから我慢して返り咲いた。次期監督の堀内政権が2年で終わると、2006年シーズンから監督復帰。チーム再建に時間のかかった1年目は4位に終わったが、その後は2度の3連覇へ導くなど完全に盛り返した。

第2次政権の最終年となった2015年は優勝したヤクルトに1.5ゲーム差の2位だった。CSでもヤクルトに敗退し、原監督の退任も決まった。そして、高橋由伸監督の3年連続V逸を経て、今季もチームを再建してみせた。

来季に長嶋、川上超え確実

すでにシーズン中、監督として1000勝を達成。1034勝の長嶋茂雄氏、1066勝の川上哲治氏を来シーズンで超える位置まで来ている。

監督通算勝利数ⒸSPAIA

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また、同一球団で3度、開幕から監督として指揮を執った人物は過去に中日・天知監督、阪神・吉田監督の2例しかなく(シーズン途中就任は除く)、原監督で3例目。その内、就任初年度に優勝を2度記録した例もない。ドラフト制度が確立され、ある程度の戦力均衡がなされている現代野球にあって、その手腕を評価しない理由はない。

3度目監督ⒸSPAIA

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最初の監督就任から17年。44歳の青年監督は61歳になった。野村克也氏や落合博満氏のような知略タイプではない。

だが、個性的な面々が揃う巨人ナインを取りまとめる意味で、これほど顔が利く監督はいないだろう。経験、気力、カリスマ性。苦難を越え、全てを備えた還暦の若大将。第3次原監督時代で野球人生の集大成を、巨人軍の破られざるレジェンドを作り上げるつもりだ。