1970年代後半に活躍のラインバック&ブリーデン
阪神のジャスティン・ボーアとジェリー・サンズが7月28日のヤクルト戦で満塁本塁打を放った。まずはボーアが2回に弾丸ライナーでライトスタンドへ運ぶ今季2本目の7号満塁弾を放つと、4回にはサンズもライトスタンドへ6号グランドスラム。メジャー通算92発のボーアと、韓国打点王のサンズの活躍で阪神は20得点の大勝だった。
来日1年目の新外国人が揃って満塁本塁打を放ったのはNPB史上初。1年目に限定しなくても、1978年に広島のギャレットとライトルが記録して以来、42年ぶり2度目の「助っ人アベック満塁弾」となった。
外国人8人態勢で臨んだ今季の阪神。昨季は貧打に泣いただけに、ボーアとサンズの活躍は頼もしい限りだ。これまで阪神で活躍した主な外国人野手のコンビと比較してみよう。
1970年代後半に活躍したのがマイク・ラインバックとハル・ブリーデンだ。ともに1976年に入団。1年目は左打ちのラインバックが打率.300、22本塁打、81打点、右打ちのブリーデンが打率.261、40本塁打、92打点をマークした。39本塁打の田淵幸一、27本塁打の掛布雅之とともに活躍し、当時のセ・リーグ年間最多本塁打記録を作っている。
2年目の1977年もラインバックが打率.325、14本塁打、62打点、ブリーデンが37本塁打、90打点をマーク。ブリーデンは3年目の1978年シーズン中に故障のため帰国したが、ラインバックは1980年まで活躍した。
オマリー&パチョレックで2位躍進、グレン&クールボーはともに77打点
シーズン終盤まで優勝争いを繰り広げながら2位に終わった1992年、新庄剛志、亀山努らとともに活躍したのがトーマス・オマリーとジム・パチョレックだった。
来日1年目の1991年に打率.307、21本塁打、81打点をマークしたオマリーは2年目に打率.325、15本塁打、62打点の活躍。お立ち台で「阪神ファンはイチバンや!」と大声を張り上げ、人気を博した。
大洋で4年間プレーし、1992年から阪神に加入したパチョレックは打率.311、22本塁打、88打点をマーク。左打ちのオマリー、右打ちのパチョレックで安打を量産し、2位躍進に貢献した。
オマリーは1993年に首位打者に輝くなど、ヤクルトに移籍後の1996年まで日本でプレーしたが、パチョレックは郭李建夫を含めた外国人枠問題もあり、1993年シーズン中に帰国した。
グレン・デービスとスコット・クールボーも優良助っ人コンビだった。
メジャー通算190本塁打のグレンは、1995年に来日し、シュアな打撃で23本塁打、77打点をマーク。同時に阪神入団したクールボーも22本塁打、77打点と2人で「暗黒時代」の阪神打線を引っ張った。しかし、翌1996年は調子が上がらず、2人揃ってシーズン中に解雇。無念の退団となった。
214安打のマートンはブラゼル、ゴメスとコンビ
阪神の歴代外国人選手の中でも指折りの優良助っ人、マット・マートンはご記憶の方も多いだろう。2010年から2年間はクレイグ・ブラゼルとのコンビで打ちまくった。
2010年に来日したマートンは、1年目にいきなり当時のシーズン最多記録の214安打をマーク(2015年に西武・秋山翔吾が216安打で記録更新)。打率.349、17本塁打、91打点と文句のない成績だった。
2008年に西武でプレーし、2009年から阪神に移籍したブラゼルは移籍2年目の2010年、打率.296、47本塁打、117打点をマーク。日本でプレーした7年間で最高の成績を残した。
マートンは翌2011年も180安打を放って打率.311、2014年には打率.338で首位打者に輝くなど、阪神で6年間プレーし、通算1020安打、打率.310という輝かしい実績を残し、2015年限りで退団した。
ブラゼルは2012年に阪神を退団し、ロッテに移籍。2014年に引退するまでNPB7年で通算133本塁打、412打点を挙げた。
ブラゼル移籍後に、マートンとともに結果を出したのがマウロ・ゴメスだった。
2014年は26本塁打、109打点で打点王。翌2015年も17本塁打、72打点と活躍した。
マートン退団後の2016年も22本塁打、79打点をマークしたものの、リーグワーストの130三振を喫したこともあり、この年限りで退団した。
2020年の阪神は、ボーアとサンズに加えて、左ふくらはぎの張りで2軍調整中のジェフリー・マルテもいる。今季の助っ人たちはどこまで成績を伸ばすだろうか。チームの成績に直結する可能性もあるだけに、今後の活躍に注目したい。
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