オリックスで17勝を挙げた野田浩司
プロ野球のシーズンオフで最も大きな話題になるのが、FAやトレードなどの移籍話だ。FAでは請われて入る選手に替わって人的補償で出ていく選手がいるし、交換トレードでは補強できる分、選手を放出する痛みを伴う。加入した選手が活躍すればいいが、出ていった選手だけが活躍されてしまっては、球団としては、ほぞを噛む思いだろう。
これまで放出した選手の活躍が最も多い球団は阪神ではないだろうか。古くは小山正明、田淵幸一、江夏豊ら「超」のつく大物選手を放出してきた歴史がある。それでもバリバリの一線級だった彼らが移籍先で活躍するのは織り込み済みだっただろう。
ところが落ち目と見られていたり、素質開花する前に見限った選手が移籍先で活躍した例も少なくない。
1987年ドラフト1位で入団した野田浩司もその一人だ。150キロ近いストレートと鋭く落ちるフォークを武器に、プロ3年目の1990年には11勝をマーク。左の猪俣隆とともに左右の両輪として、低迷期の阪神を支えた。
しかし、1992年オフ、長打力不足を補おうと目論んだ球団は、オリックスの松永浩美と交換トレードを成立させる。すると、それまでプロ5年間で35勝52敗9セーブと大きく負け越していた野田は、翌1993年に見違えるような投球を見せた。
4試合連続2桁奪三振などパ・リーグの並み居る強打者から三振を奪い、終わってみれば17勝5敗、209奪三振をマーク。翌94年にも12勝、95年4月21日のロッテ戦では、1試合19奪三振の日本新記録を樹立した。
結局、オリックスでは54勝35敗、プロ通算成績も89勝87敗と2つ勝ち越すまでの活躍を見せた。一方、阪神が獲得した松永は期待通りの働きができず、1年でダイエーにFA移籍。明暗がくっきり分かれる形となった。
「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打」の北川博敏
現阪神2軍打撃コーチの北川博敏も阪神を出てから花開いた選手だった。1994年ドラフト2位で入団し、打てる捕手として期待されたが、阪神時代は1本も本塁打を打てず、2000年オフに近鉄に移籍。阪神が北川、湯舟敏郎、山崎一玄、近鉄が酒井弘樹、面出哲志、平下晃司の3対3の大型トレードだった。
2001年4月にプロ初本塁打を放つなど、主に代打で結果を残し、優勝マジック1で迎えた9月26日のオリックス戦。9回裏無死満塁から代打として打席に立つと、オリックスの守護神・大久保勝信のスライダーをとらえ、左中間スタンドに放り込んだ。気合の一振りで、プロ野球史上唯一の「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」という離れ業となった。
北川は2004年に20本塁打を放つなど、その後も近鉄、オリックスの主軸として活躍。プロ通算102本塁打、536打点をマークし、2012年オフに引退した。
24試合連続安打の塩谷和彦
塩谷和彦は神港学園から1992年ドラフト6位で阪神に入団。打力を活かすべく捕手から内野手にコンバートされるなど期待されたものの、2000年に48試合出場したのが最多だった。
ところが、2001年オフに斉藤秀光との交換トレードでオリックスに移籍すると、翌2002年には4番で起用されるなど、いきなり99試合に出場。さらに2003年には24試合連続安打をマークし、初めて規定打席に到達、打率.307の好成績を残した。
古巣・広島でMVPに輝いた新井貴浩
新井貴浩の場合はFA権を行使し、自らの意思で阪神に入ってきたという点で事情は少し違うが、広島に戻ってからの活躍はご記憶の方も多いだろう。
金本知憲の後を追うように阪神移籍を決断したのが2007年オフ。2005年に43本塁打でタイトルを獲得した長打力への期待は大きかったが、阪神では2010年の19本塁打が最多だった。
94試合出場でわずか3本塁打に終わった2014年オフに阪神を退団。古巣・広島に復帰すると、2015年に125試合に出場。翌2016年には4月に通算2000安打、8月に通算300本塁打を達成し、打率3割、19本塁打、101打点の活躍で25年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献、セ・リーグMVPに輝いた。
移籍即先発ローテで11勝の榎田大樹
榎田大樹は2010年ドラフト1位で阪神に入団。1年目は62試合に登板して3勝3敗1セーブ33ホールドの活躍を見せた。しかし、徐々に成績は下降線を辿り、2017年にはわずか3試合の登板に終わった。
翌2018年3月、開幕直前に岡本洋介との交換トレードで西武に移籍すると、別人のような活躍を見せる。左腕不足のチーム事情から先発として起用され、11勝4敗の好成績をマーク。2019年は4勝に終わったものの、阪神に在籍した7年間の合計13勝を2年で上回った。
プレッシャーから解放され本来の実力発揮?
阪神に限らず、移籍した選手が新天地で予想以上の活躍する例は少なくない。FAは別にして、トレードの場合は放出された悔しさがモチベーションになったり、心機一転、気持ちを入れ直すこともひとつの要因だろう。
阪神の場合はそれに加えて多大なプレッシャーがある。スタンドは常に満員、テレビは生中継し、新聞は連日1面で報じる。そういった環境から解放されることによって、本来の力が発揮できたり、素質が開花したりしても不思議ではない。
阪神からパ・リーグに移籍した元選手から「阪神の時はチャンスで打順が回ってくると“打てなかったらどうしよう”と考えたけど、パ・リーグでは“打ったらヒーローだな”と考えるようになった」と話すのを聞いたことがある。同時に「移籍してからファンのありがたみを知った」とも言っていた。
大勢のファンの絶大な支持は、追い風になる時もあれば逆風になる時もあるのだ。注目度の低さが、選手の気持ちを楽にするのは紛れもない事実。選手にしてみれば新天地での活躍は喜ばしい限りだが、放出した球団やファンにとっては複雑な思いに違いない。
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