1990年代のドラフト全体1位指名選手は誰がいた?
1990年代にドラフト全体1位で指名された選手の多くは、既に引退している。2016年終了時点で現役なのは、ジョシュ・ハミルトン選手ただ1人だ。しかし、チッパー・ジョーンズ選手、アレックス・ロドリゲス選手と球史に名を残す選手も指名されており、印象度は高くなっている。
【1990年代全体1位選手一覧】
1990年:チッパー・ジョーンズ(アトランタ・ブレーブス)
1991年:ブリエン・テイラー(ニューヨーク・ヤンキース)
1992年:フィル・ネビン(ヒューストン・アストロズ)
1993年:アレックス・ロドリゲス(シアトル・マリナーズ)
1994年:ポール・ウイルソン(ニューヨーク・メッツ)
1995年:ダリン・アースタッド(カリフォルニア・エンゼルス)
1996年:クリス・ベンソン(ピッツバーグ・パイレーツ)
1997年:マット・アンダーソン(デトロイト・タイガース)
1998年:パット・バレル(フィラデルフィア・フィリーズ)
1999年:ジョシュ・ハミルトン(タンパベイ・デビルレイズ)
1990年:ブレーブスの象徴になったチッパー・ジョンズ選手
アトランタ・ブレーブスが、1990年にドラフト全体1位指名で手に入れたチッパー・ジョーンズ選手。この選手がいなければ、1990年代の黄金時代はなかったと言えるほど大活躍した。レギュラーとなった1995年から2005年まで11年連続で地区優勝。3度のリーグ優勝、ワールドチャンピオンにも1度輝いている。
スイッチヒッターとして、メジャーリーグ史上歴代3位の468本塁打を放つなどブレーブスの象徴として活躍。日本にもやって来たアンドリュー・ジョーンズ選手と「2人のジョーンズ」としてブレーブスの黄金時代を支えた。2012年シーズンで引退したジョンズ選手の背番号「10」は、ブレーブスの永久欠番に指定されている。
1992年:3割30本100打点をマーク!フィル・ネビン選手
1992年にドラフト全体1位でヒューストン・アストロズから指名されたのは、フィル・ネビン選手だった。ネビン選手は、アメリカ代表としてバルセロナ五輪にも参加しており、注目度の高い選手だった。
1995年にメジャーデビューを果たすが、翌1996年にデトロイト・タイガース、1998年にアナハイム・エンゼルス(現ロサンゼルス・エンゼルス)、1999年にサンディエゴ・パドレスとチームを転々としていた。
4チーム目となったパドレスで開花し、2000年、2001年には2年連続で3割、30本塁打、100打点をマーク。しかし、これ以降はケガもあり、大きな実績を残すことなく2006年に現役を引退している。
1993年:超大型契約締結:アレックス・ロドリゲス選手
1993年のドラフト全体1位は「A-ROD」ことアレックス・ロドリゲス選手だった。シアトル・マリナーズから全体1位で指名を受けたロドリゲス選手は、1994年に18歳でメジャーデビューを果たす。1996年に遊撃手のレギュラーを確保すると、打率.358で首位打者を獲得。2000年シーズンまでマリナーズを中心選手として引っ張る。
その後、テキサス・レンジャーズと10年2億5200万ドルで契約を結び移籍。2004年にはニューヨーク・ヤンキースへ移籍し、三塁へコンバートされ、デレク・ジーター選手と史上最高とも言われる三遊間を形成した。2007年オフには既存の契約を破棄し、新たに10年2億7500万ドルの超大型契約を締結。世間を驚かせた。
その後、薬物使用の疑惑などもありながら2016年に現役を引退。通算本塁打は696本塁打で歴代第4位となっている。
1999年:何かと話題のジョシュ・ハミルトン選手
1999年のドラフト全体1位でタンパベイ・デビルレイズから指名されたのは、ジョシュ・ハミルトン選手だった。ハミルトン選手はアルコール依存症、薬物使用などさまざまなトラブルがあり、メジャーデビューはシンシナティ・レッズに移籍後の2007年だった。
デビュー年に90試合、打率.292、19本塁打、47打点の成績を残したハミルトン選手は、2008年にテキサス・レンジャーズへ移籍する。レンジャーズでは移籍初年度に打点王、2010年には首位打者に輝くなどチームに貢献した。
しかし、2012年の終盤戦でハミルトン選手の失策が原因でチームは敗戦し、優勝を逃したことがあった。このようにハミルトン選手は波乱万丈の選手生活を送った。
まとめ
チッパー・ジョーンズ選手、アレックス・ロドリゲス選手といったメジャーリーグ史に残る選手も全体1位だったのだ。
アマチュア時代から活躍し、メジャーでも大成功を収めた選手は、想像を絶するような努力をしてきたことだろう。
すでに多くの選手が引退しているが、第二の人生を楽しんでもらいたいものだ。