ベーブ・ルース選手の生涯を振り返る【球史に名を残した偉人達】|【SPAIA】スパイア

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ベーブ・ルース選手の生涯を振り返る【球史に名を残した偉人達】


ボルチモアで野球人生が始まった

「野球の神様」ことベーブ・ルース選手。野球に興味のない方でも、この名前を知らない人はいないであろうという人物でもある。ベーブ・ルース選手は1948年に亡くなっているが、アメリカ野球殿堂入りも果たしている歴史的な人物だ。

ニューヨークからおよそ300キロほど南下したボルチモアで生まれたベーブ・ルース選手。その生家は2017年現在、博物館となっており毎日多くの観光客が訪れる。ボルチモア・オリオールズの本拠地であるオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズからも徒歩圏内にあることで、試合観戦と合わせて足を運ぶファンも多い。

若かりし頃のベーブ・ルース選手は優等生ではなく問題児であった。そのため、セントメアリー少年工業学校(孤児院)に送られている。そこで、野球を覚えたことがきっかけとなり、野球の神様となったのだから人生はわからない。

この学校で野球を覚えエースとして活躍していたベーブ・ルース選手は、1914年にマイナーリーグのスカウトに認められ契約を果たす。その際のチームはボルチモア・オリオールズであった。(現在のボルチモア・オリオールズとは無関係)

マイナーリーグでプレーしていたベーブ・ルース選手は、程なくしてボストン・レッドソックスへとトレードされ、メジャーリーガーとしての第一歩を踏み出すことになる。このときベーブ・ルース選手は19歳だった。

MLB史上唯一の二ケタ勝利、二ケタ本塁打を達成!

ベーブ・ルース選手はホームランバッター、そして投手もこなす「二刀流」として知られている。しかし、デビュー当初はほぼ投手一本だった。レッドソックスへ移籍して2年目となる1915年には32試合に登板し18勝8敗、防御率2.44の成績を残し投手陣を支えている。この年は、打者としても打率.315(92打数29安打)、4本塁打、20打点の成績を残しているが、打席数の少なさからも投手メインの起用だったと言える。
大きく取り上げられたのは1918年で、メジャーリーグ史上唯一となる二ケタ勝利(13勝)、二ケタ本塁打(11本塁打)を達成したのだ。この記録は、2014年に日本でも話題となった。北海道日本ハムファイターズの大谷翔平選手が、11勝10本塁打を達成した際に引き合いとして出されたのだ。
この打者としての活躍もあり、ベーブ・ルース選手の起用法が変わってくる。投手メインから野手メインへの変化が起きるのだ。

バンビーノの呪い

1918年に二刀流として活躍したベーブ・ルース選手は、1919年シーズンから野手での起用が増える。投手としても登板は果たしていたが、1917年の326.1回から133.1回へと投球回数は減少。野手として初めて100試合以上となる130試合に出場し、打率.300、29本塁打、114打点の成績を残し本塁打王、打点王の二冠王に輝いた。
そしてベーブ・ルース選手は、オフにニューヨーク・ヤンキースへとトレードされることになる。このトレードは、2004年まで「バンビーノの呪い」として残り続ける失敗トレードとして記憶されることになった。
1918年にベーブ・ルース選手の活躍もあり、ワールドチャンピオンになったレッドソックス。しかし、ベーブ・ルース選手放出後、長きにわたってワールドチャンピオンになることはできなかった。また、ベーブ・ルース選手を獲得したヤンキースが以降、急激に強さを増し強豪チームとなったことから、皮肉めいた形で言われるようになったのだ。
ベーブ・ルース選手はヤンキースに移籍後、野手として大活躍。生涯で放った714本塁打のうち92%にあたる659本塁打をヤンキースで記録。また、1923年に開場したヤンキースタジアム(現在は取り壊されており新しいヤンキースタジアムとなっている)は、「ルースが建てた家」と呼ばれるほどの経済効果をベーブ・ルース選手は生み出したのだ。

ヤンキースでのシーズン60本塁打は聖域に

1920年シーズンから、ヤンキースでプレーすることになったベーブ・ルース選手。移籍初年度から54本塁打を放ち本塁打王を獲得すると、1934年までの15年間で10度も栄冠に輝く。
1927年には、当時のメジャーリーグ記録である60本塁打を達成。この記録は、1961年にロジャー・マリス選手(ヤンキース)が61本塁打を放つまで、34年間に渡りメジャー記録として残っていた。ロジャー・マリス選手が、ベーブ・ルース選手の記録を破ることになる1961年。当時、ベーブルース選手はすでに「野球の神様」となっており、記録を侵すことはタブーとも言える雰囲気を醸し出していた。
ホームスタジアムである「ルースが建てた家」での本塁打でもブーイングが起きたほどだ。
ファンには、それほどベーブ・ルース選手への思いがあったのだ。

現役引退後に野球殿堂入り

ベーブ・ルース選手は、ヤンキースで15年間プレーした後、ボストン・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)へと移籍。現役最終年をブレーブスで過ごしている。40歳という年齢もあり、28試合に出場し打率.181、6本塁打、12打点と往年の成績を残すことはできなかった。

この年限りで現役を引退したベーブ・ルース選手は、野手として2503試合に出場し打率.342、714本塁打、2214打点の成績を残す。一方、投手としては163試合に出場し94勝46敗、1221.1回を投げ488奪三振、防御率2.28をマーク。

メジャーリーグ史上で優れた打者の一人、そして二刀流であり、ハンク・アーロン選手に破られるまで714本塁打はメジャーリーグ記録ともなっていた。

その、ベーブ・ルース選手が引退当時に野球殿堂は存在しなかった。しかし、2年後の1936年に野球殿堂が設立されベーブ・ルース選手、タイ・カッブ選手、ホーナス・ワグナー選手、クリスティ・マシューソン選手、ウォルター・ジョンソン選手の5人が初代殿堂入り選手となった。また、ヤンキース時代に背負っていた背番号「3」は永久欠番として制定されている。

現役引退後の活動は、病魔に冒されていたこともあり、そう多くはない。しかし、恵まれないこども達へ向けた財団を設立するなど、こども達のことを愛し次世代のことを常に考えていた。

1948年に53歳の若さで亡くなっているが、ベーブ・ルース選手の残した功績は大きく、野球界のみならず全米に大きな影響を与えた一人でもある。

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