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【球史に名を残した偉人達】神様ベーブ・ルース

2018 1/4 15:02cut
ベーブ・ルース
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バンビーノの呪い

1918年に二刀流として活躍したベーブ・ルース選手は、1919年シーズンから野手での起用が増える。投手としても登板は果たしていたが、1917年の326.1回から133.1回へと投球回数は減少。野手として初めて100試合以上となる130試合に出場し、打率.300、29本塁打、114打点の成績を残し本塁打王、打点王の二冠王に輝いた。
そしてベーブ・ルース選手は、オフにニューヨーク・ヤンキースへとトレードされることになる。このトレードは、2004年まで「バンビーノの呪い」として残り続ける失敗トレードとして記憶されることになった。
1918年にベーブ・ルース選手の活躍もあり、ワールドチャンピオンになったレッドソックス。しかし、ベーブ・ルース選手放出後、長きにわたってワールドチャンピオンになることはできなかった。また、ベーブ・ルース選手を獲得したヤンキースが以降、急激に強さを増し強豪チームとなったことから、皮肉めいた形で言われるようになったのだ。
ベーブ・ルース選手はヤンキースに移籍後、野手として大活躍。生涯で放った714本塁打のうち92%にあたる659本塁打をヤンキースで記録。また、1923年に開場したヤンキースタジアム(現在は取り壊されており新しいヤンキースタジアムとなっている)は、「ルースが建てた家」と呼ばれるほどの経済効果をベーブ・ルース選手は生み出したのだ。

ヤンキースでのシーズン60本塁打は聖域に

1920年シーズンから、ヤンキースでプレーすることになったベーブ・ルース選手。移籍初年度から54本塁打を放ち本塁打王を獲得すると、1934年までの15年間で10度も栄冠に輝く。
1927年には、当時のメジャーリーグ記録である60本塁打を達成。この記録は、1961年にロジャー・マリス選手(ヤンキース)が61本塁打を放つまで、34年間に渡りメジャー記録として残っていた。ロジャー・マリス選手が、ベーブ・ルース選手の記録を破ることになる1961年。当時、ベーブルース選手はすでに「野球の神様」となっており、記録を侵すことはタブーとも言える雰囲気を醸し出していた。
ホームスタジアムである「ルースが建てた家」での本塁打でもブーイングが起きたほどだ。
ファンには、それほどベーブ・ルース選手への思いがあったのだ。

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