報徳学園のお株を奪う逆転勝利で紫紺の大旗つかむ
第95回記念選抜高校野球大会は山梨学院(山梨)の優勝で幕を閉じた。決勝は報徳学園(兵庫)に先制を許したが、5回に一挙7点を奪って逆転。エース林謙吾がこのリードを守り抜き、山梨県勢として春夏通じて初の頂点に立った。
昨秋の関東大会覇者とはいえ、今大会はダークホース的存在だった。しかし、制球力抜群の林を中心に開幕戦で東北を3-1で破って波に乗ると、2回戦で氷見を4-1、3回戦で光を7-1、準々決勝で作新学院を12-3、準決勝で広陵を6-1で下し、決勝も報徳学園に7-3といずれも強い勝ち方だった。
これまでベスト4が最高だった山梨県勢。改めてその足跡を振り返ってみたい。
1980年代に東海大甲府が台頭
山梨県勢として初めて甲子園に出場したのは1935年夏の甲府中。初戦で青島中を下したが、2回戦で育英商に0-11で大敗した。
初めて大躍進したのは1967年センバツに初出場した甲府商。初戦で近大付、準々決勝で市和歌山商と近畿勢を連破してベスト4に進出した。準決勝で、後にロッテ、阪神で活躍する弘田澄男のいた高知に1-11と完敗した。
その後、甲子園に出ても初戦敗退が多かったが、1980年代に台頭したのが東海大甲府。PL学園・桑田真澄と清原和博のKKフィーバーに沸いた1985年夏は、初戦で岡山南、3回戦で海星(三重)、準々決勝で関東一を破って4強入りし、準決勝で宇部商にサヨナラ負けした。
1987年センバツでも初戦で大成、2回戦で滝川二、準々決勝で熊本工に勝ってベスト4。準決勝で優勝したPL学園に5-8で敗れた。この時のショートが後に阪神入りする久慈照嘉だった。
さらに東海大甲府は1988年センバツでベスト8、1990年センバツでベスト4に進出し、甲子園上位進出の常連校となった。
旋風巻き起こした「ミラクル市川」
1991年に旋風を巻き起こしたのが市川だ。好投手・樋渡卓哉を擁して初戦の浪速に勝つと、2回戦の宇都宮学園戦、準々決勝の桐生一戦と2試合連続逆転サヨナラ勝ち。準決勝で広陵に敗れたものの、「ミラクル市川」の名を全国に轟かせた。
市川は夏も甲子園に出場して瓊浦、我孫子を下し、準々決勝で鹿児島実に敗れたもののベスト8入り。樋渡は甲子園に鮮烈な印象を残した。
その後、1990年代半ばから山梨学院大付(現山梨学院)や日本航空が台頭。2004年夏と2012年夏には東海大甲府がベスト4進出したが、準決勝の壁を破れなかった。
近年、山梨学院は着実に力をつけ、2016年から春夏合わせて甲子園に9回出場。2022年の秋季関東大会を制し、関東王者として挑んだセンバツで堂々の初優勝を飾った。
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