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【高校野球】東北勢と山口県勢の甲子園決勝戦成績、初優勝は仙台育英か下関国際か

2022 8/22 06:00SPAIA編集部
甲子園球場,Ⓒbeeboys/Shutterstock.com
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Ⓒbeeboys/Shutterstock.com

仙台育英と下関国際が初優勝かけて激突

第104回全国高校野球選手権大会決勝で仙台育英(宮城)と下関国際(山口)が激突する。どちらが勝っても初優勝。深紅の大優勝旗をつかむのはどちらになるだろうか。

仙台育英は初戦で鳥取商(鳥取)に10-0で快勝して波に乗り、3回戦は明秀日立に5-4で逆転勝ち。準々決勝は愛工大名電 (愛知)に6-2、準決勝は聖光学院(福島)に18-4と大勝して決勝にコマを進めた。ベンチ入りの5投手がいずれも最速140キロを超える層の厚さを誇り、投打のバランスが取れている。

一方の下関国際は初戦で好投手・日高暖己を擁した富島(宮崎)に5-0で完封勝ちすると、3回戦は浜田(島根)との隣県対決に9-3で快勝。準々決勝は優勝候補の筆頭・大阪桐蔭(大阪)から大金星を挙げ、準決勝は近江(滋賀)のプロ注目右腕・山田陽翔を攻略して8-2で勝利し、初の決勝進出を決めた。左腕・古賀康誠と右腕・仲井慎両投手の継投で勝ち上がり、派手さはないがしたたかなチームだ。

東北勢は春夏計12回の決勝進出も優勝なし

決勝の注目点のひとつは東北勢の初優勝だろう。今から107年前の1915年に行われた第1回大会で秋田中(秋田)が準優勝して以来、東北勢はセンバツで3回、選手権で9回の計12回決勝進出しながら一度も頂点に立っていない。歴代の決勝戦スコアが下の表だ。

東北勢の甲子園決勝戦成績


1969年夏には三沢(青森)のエース太田幸司の力投で松山商(愛媛)と延長18回0-0で引き分け再試合の死闘を演じたが、翌日の再試合は2-4で惜敗。1971年夏は磐城(福島)が、身長165センチで「小さな大投手」と呼ばれたエース田村隆寿を擁して勝ち上がったが、決勝で桐蔭学園(神奈川)に敗れた。

1989年夏は後にダイエーで活躍するエース大越基のいた仙台育英が帝京と大熱戦を展開したが、延長10回0-2で惜敗。2001年センバツでも仙台育英は6-7で常総学院(茨城)に敗れた。

2003年夏にはダルビッシュ有を擁する東北(宮城)が、2009年センバツでは菊池雄星を擁する花巻東(岩手)が決勝に進出したものの、現メジャーリーガーの力投もむなしく頂点目前で涙を呑んだ。

さらに2011年夏からは北條史也(現阪神)、田村龍弘(現ロッテ)らのいた光星学院(青森)が3季連続準優勝。2015年夏には仙台育英が3たび頂点に挑んだが、東海大相模(神奈川)に6-10で敗れた。

そして記憶に新しい2018年夏は、一人で投げてきた金足農(秋田)のエース吉田輝星(現日本ハム)が力尽き、大阪桐蔭に完敗で準優勝。仙台育英としては4度目の決勝で、東北勢の悲願を目指すことになる。

山口県勢は1985年宇部商以来の決勝

一方、山口県勢は春夏とも一度ずつ優勝しているが、最近は低迷している。

山口県勢の甲子園決勝戦成績


1939年夏、初の決勝進出を果たした下関商は海草中(和歌山)に完封負けしたが、1958年夏は柳井が板東英二を擁する徳島商に7-0で完勝して初の頂点に立った。

1963年には、下関商がエース池永正明の好投で10-0と北海に圧勝してセンバツ初制覇。同年夏も下関商は決勝進出したが、センバツ1回戦で退けた明星(大阪)に1-2で雪辱され、春夏連覇はならなかった。

1964夏には早柄が決勝進出も高知に完封負け。1972年夏は柳井が津久見に、1974年夏は防府商が銚子商に決勝で敗れた。

1985年、桑田真澄、清原和博のKKコンビ最後の夏に決勝で激闘を演じたのが宇部商だ。準決勝までに4本塁打を放っていたスラッガー藤井進を擁して勝ち上がったが、PL学園(大阪)に3-4でサヨナラ負け。あと一歩のところで大旗を逃した。

下関国際は山口県勢としては宇部商以来37年ぶりの決勝進出。1989年に仙台育英を準優勝に導いた大越基が、現在は山口の早柄で監督を務めているのも不思議な巡り合わせだ。

コロナ禍で開催され、記録的猛暑でもあった2022年夏。最後に野球の神様はどんなドラマを用意しているのか。プレーボールは午後2時だ。

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