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【高校野球】愛工大名電が41年ぶり甲子園3勝した裏にある「夏型」への転換

2022 8/21 11:00柏原誠
甲子園球場,Ⓒtak36lll/Shutterstock.com
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Ⓒtak36lll/Shutterstock.com

2005年センバツ優勝も夏に勝てなかった名電

第104回全国高校野球選手権大会で愛工大名電(愛知)が41年ぶりに「3勝」を挙げた。名古屋電気時代に工藤公康(元西武など)を擁して4強入りした1981年以来のことだ。

高校野球ファンにもなじみの深い愛工大名電。あの元マリナーズ・イチローが活躍したことに加え、2004年春の準優勝、翌2005年春の甲子園初優勝で、強豪校として全国に名をとどろかせるようになった。

ただセンバツでは勝てても、不思議と夏は甲子園で勝てないという不名誉なジンクスが続いていた。昨夏まで13回出場したうち、10回が初戦敗退。最近10回でわずか「1勝」という極端な数字が残る。

愛知県には中京大中京、東邦など最近も甲子園を制している強豪がひしめく。そもそも、全国最多の180チーム前後(今年は175チーム)が参加する夏の愛知大会は、優勝するだけでも相当な名誉。一方で、心身に大きな負担をともなうのも想像にかたくない。地区大会の反動で、甲子園では本来のパファーマンスができないという仮定は成り立つ。

東海地区で2校の春より1県1校の夏狙い

1997年就任の倉野光生監督(63)も悩んでいた。甲子園大会に安定して出場することで、強豪の地位と面目は十分に保たれている。一方で、高校野球の総決算になる夏の甲子園で存在感を示せないことにジレンマがあった。

就任当初はセンバツ出場に主眼を置いていたという。春に実績を残すようになると、今度は夏制覇に目標が移っていく。センバツ優勝した2005年のあと「夏型」の強化方針に転換したことを明かす。「春型」を続ける難しさにも直面していた。

「2年生の秋にチームがある程度できあがってしまうと、3年夏がしんどくなる。愛知県で春も夏も甲子園を追いかけるとダメなんですよ」

翌春センバツの重要参考資料になる秋季東海大会。以前はセンバツ出場枠が3校あったが、現在はたった2校だ。4県の代表校の中からわずか2枠を勝ち取るのは並大抵ではない。

静岡は永田裕治監督が就任した日大三島が強化を進め、岐阜も県岐阜商の鍛治舎巧監督、大垣日大の阪口慶三監督らベテランが毎年好チームを送り込んでくる。三重高を筆頭とした三重県勢もレベルが上がっている。「その中で2校ですから、ある意味難しいですよね。1県1校の夏の方が確率は高いでしょう」

もちろん「春」がかかった秋季大会も全力で臨み、結果にもこだわるが、あくまで夏に向けたプロセス。新チーム発足と同時に組まれる強化プランは11カ月後から逆算したものになっている。

「やり方は全然違います。すぐに変えるのは難しいので夏型にするのに3年はかかる。今は完全な夏型ですね。夏は必ずやってくれますよ」

部員急逝の悲しみ乗り越えベスト8

野球部員は全寮制。50人が収容できる大きな1部屋に2段ベッドを並べる集団生活を送ることで、互いの理解を深め、最後の夏にはチームとしての結束は最高潮まで高まる。

今年の夏は愛知大会決勝でライバル東邦にサヨナラ勝ち。甲子園でも初戦で星稜(石川)に快勝して波に乗り、八戸学院光星(青森)戦は3点差を7回に逆転。3回戦はエース有馬伽久(3年)が明豊(大分)に2失点完投と、いずれも有力校を相手に手応え十分な戦いぶりだった。

準々決勝では仙台育英(宮城)に2-6で敗れた。有馬が序盤にかき回されて、失点した。倉野監督は「皆さんの応援を後押しにして、気持ちは非常に強く、しっかり準備もしてきたが、それ以上に仙台育英さんの有馬対策、攻撃パターンが適材適所で、防戦一方になってしまった。試合の最初に非常に悔いが残る。野球の怖さを感じました。こういう野球しなきゃいけないと仙台育英さんから学ばせてもらった」と振り返った。

そして、引退する3年生に向けて「心を1つに、いろいろな思いを持ってここまで頑張ってくれて、素晴らしい名電野球部の歴史を作ってくれた。高校野球は卒業して次のステージに向けてになるが、野球をもっともっと勉強して、人として成長してほしい」とエールを送った。

6月に3年生部員が急逝するという悲しみを乗り越えて「夏」に存在感を示した愛工大名電。夏の王者という勲章を目指すチャレンジが続く。

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