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前橋育英・荒井直樹監督も涙…甲子園より輝いた代替大会での奮闘

2022 8/3 06:00SPAIA編集部
前橋育英の荒井直樹監督,Ⓒ双葉社
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Ⓒ双葉社

甲子園が中止になった2020年

新型コロナウイルスの感染拡大によって、甲子園大会そのものがなくなってしまった2020年。この年監督と選手はどんなことを考えていたのか。『コロナに翻弄された甲子園』(双葉社)の著者である小山宣宏氏が、前橋育英の荒井直樹監督に当時の心境について聞いた。

電話口で泣き出す選手も

2020年5月20日、荒井と選手たちは、日本高野連から第102回全国高等学校野球選手権大会の開催中止の発表を聞いた。荒井はこの日の夜、21人の3年生全員に電話を入れた。冷静に受け止めた選手もいれば、荒井と話している途中に涙声に変わった選手もいた。だが、荒井は全員の思いを受け止めようと、黙って話を聞き続けた。

彼ら3年生が入学した18年の夏は、当時の3年生が甲子園の土を踏んでいた。100回目の記念大会となったこの年は、埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫、福岡の7府県で1校ずつ代表校が増えた。前橋育英は1回戦を南大阪代表の近大付属と対戦。2対0で完封勝ちを収めた。続く2回戦では近江に3対4でサヨナラ負けを喫したものの、最後まで勝負がわからない、手に汗握る好ゲームとなった。

翌19年の夏も前橋育英は甲子園に出場した。このときは1回戦で西東京代表の国学院久我山に5対7で敗れたものの、「先輩たちを見習って、夏は必ず甲子園に出場するんだ」という意気込みが新チーム結成当時からあった。

この年の秋の群馬大会では桐生第一に敗れて準優勝に終わり、関東大会では習志野に3対7で敗れた。それだけに、ひと冬超えて心身ともに成長した新3年生になった彼らが夏までの間にどこまで成長するのか、荒井は注目していた。

それが新型コロナウイルスの蔓延によって、甲子園に出場できるチャンスを失ってしまった。目標がなくなってしまった彼らに対して、荒井は今すぐにしてあげられることと言えば、じっくり話を聞いてあげて、心のつかえを取ってあげることぐらいだった。

「選手たちの悔しい思いや、やるせない気持ちを受け止めてあげることしかできませんでした。電話口の向こうで泣いて話していた選手も、しばらくしてから、『先ほどは感情を乱してしまって申し訳ありませんでした』とLINEで返事をくれたのです。私は『仕方がないよ。甲子園を目指している選手だったら、誰だってショックを受けて当然だよ』と返信しました」

「仲間と一緒に野球ができる喜び」を選手全員が共有

その後、ほどなくして群馬でも夏の予選がなくなった代わりの大会を開催することが決まった。甲子園に代わる大会そのものが開催できたことは、荒井自身、「この世代の選手たちにとって、区切りになる試合を行えたら……」と考えていただけに正直安堵した。

6月から選手たちはグラウンドでの練習に復帰したが、長く練習できなかったことの副作用が、グラウンド上で顕著に表れた。ノックをしたり、打撃練習をしているときには、今まで通りそつなく動けているように思えていたのだが、実戦形式の試合になると180度打って変わった。

「紅白戦を行って打者の生きた打球が飛んできたとき、野手が即座に反応できなくてエラーしてしまうんです。普段だったら難なく捕って送球して終わるような当たりでも、瞬時の動きが鈍ってしまってはじいてしまう。

打者は打者で、投手の投げる生きたボールを長いこと見ていなかったですから、打ち損じや空振りが多く、『以前の感覚を取り戻すのに、結構時間がかかるかもしれないな』と考えていたのです」

荒井はこんな危機感を抱いていた一方、選手たちはそれまで3カ月もの間、まともに野球ができなかった時間を取り戻そうと、それまで以上に必死になって練習していた。練習が終わった後、黙々と素振りをする選手もいれば、内野ノックを打ってもらい、捕球してからの送球を入念にチェックしている内野手もいた。

荒井の目にはそのどれもが「大会がなくなったことよりも、『この仲間たちと再び一緒に野球ができる喜び』のほうが大きい」と映っていた。その証拠に、コロナ以前と比べて仲間たちとより深くコミュニケーションをとりながら技術の習得に励んでいる姿を連日見ていたからだ。

「甲子園に出場するチャンスはなくなりましたけれども、選手たちの今の頑張りがいい方向に向かえばいいなと、密かに期待していたんです」と荒井は話す。

あと一歩のところまで健大高崎を追い詰めた前橋育英の粘り

代替大会が始まると、選手たちは奮闘した。初戦の渋川に7対0で8回コールド勝ちを収めると、続く伊勢崎工業に10対1、準々決勝の伊勢崎清明には5対3と勝利した。

このままの勢いが続くか……と思いきや、準決勝の健大高崎との試合では、3回までに前橋育英が4点取ったものの、4回以降、健大高崎の反撃に遭い、8回までに11点を奪われた。その裏の前橋育英の攻撃で1点も取れなければコールド負けとなってしまうところだったが、どうにか1点をもぎ取り、9回も4点を奪って2点差まで詰め寄ったが、反撃はここまでだった。

最後は前年秋の関東大会で優勝し、ドラフト候補と騒がれた下慎之介(現東京ヤクルト)が登板して後続を断たれた。

だが、荒井は負けた悔しさよりも、「土俵際まで追い詰められながら、最後は粘りを見せてよくやった」という思いのほうが強かった。この世代の3年生は満足に練習試合が行えなかっただけでなく、3カ月以上もグラウンドで練習することすら許されなかった。限られた時間のなかで全力を尽くした彼らに、荒井はただただ賞賛の言葉しか出て来なかった。

球場から前橋育英のグラウンドに戻って選手全員を集合させ、荒井が話し始めたとき、1人、また1人とすすり泣く声が聞こえてきた。するとほぼ全員の選手が涙を流し、荒井の目にも光るものがあった。

「みんな、本当によく頑張ったよ。『甲子園出場』の目標がなくなって、正直どうなることかと思ったときもあったけど、本当にいい粘りだった。ありがとう」

荒井は選手たちと満足感と達成感を共有していた。

コロナに翻弄された甲子園

Ⓒ双葉社


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