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熊本工・田島圭介監督が徹底した「上級生」「名門校」にとらわれない思考法

2022 7/30 06:00SPAIA編集部
熊本工の田島圭介監督,Ⓒ双葉社
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Ⓒ双葉社

新型コロナを機に意識改革

新型コロナウイルスの感染拡大によって、「これまでのような練習方法では通用しない」という話をよく聞く。『コロナに翻弄された甲子園』の著者である小山宣宏氏は、今夏の熊本予選でベスト4まで進んだ熊本工業・田島圭介監督に取材し、「選手に行った意識改革」について尋ねた。ここではその一部を紹介する。

「朝練の開始時刻」を明確にした理由

新型コロナウイルスの感染拡大によって、20年秋の新人戦が中止となったうえに、練習試合ができなくなってしまった。そのうえ練習時間については、平日の場合、「授業終了後の1日2時間だけ」と限られていた。結果、野球の技術が上達していかないという悪循環に陥ったものの、そう簡単に現状を打破するのは難しいとさえ考えていた。

唯一の救いが20年の夏に野球を終えた3年生たちの存在だった。投手、二塁手、三塁手、中堅手が前年夏の甲子園を経験していたため、何かの役に立てればと9月以降もグラウンドに顔を出しては練習の手伝いをしてくれた。彼らは大学に進学し、そこで野球を続けたいという目標もあった。手伝うだけでなく、自分たちも下級生たちに交じって練習し、そこで見本を見せてくれるのは本当にありがたいと田島は考えていた。

けれどもこのような状況がいつまでも続くわけではない。彼らもやがてグラウンドから去り、半年後には卒業していく。チームを率いる田島圭介監督は、次の手を考えていかなくてはならなかった。そこで監督就任直後から推奨していた「組織力を高めた野球」をさらに進化させるべきだと考えていた。

一例として挙げられるのが、「朝練の開始時間」についてである。上級生が下級生に対して、「早めに来させる」という言葉を使うのはタブーとし、「何時何分に来させる」と時間をはっきり伝えるようにあらためた。

「『早め』っていうのは何時何分のことを指すのか? ということですよね。6時半かもしれませんし、7時だと判断するかもしれない。そうした曖昧な言い方では、『何時のことを言っているの?』とみんなが戸惑ってしまいます。

しかもその時間に合わせて動くのは、上級生1人だけではないんです。たとえば下級生が学校まで通学するのに40分かかるとしたら、その1時間前にはお母さんが早起きしてお弁当を作っていなければならない。場合によっては、朝5時過ぎに起きて作っておかなければいけないことも十分あり得ます。そうした親御さんの負担をなくす意味でも時間を明確に決めて、極端に早くない時間設定で朝練を行うようにしたのです」

このとき田島は選手たちに対して、「オレも朝練に行くから」とはっきり伝えている。監督自身も時間を創出することで、朝練を行う意味について、選手たちには考えてもらいたいと思っているからだ。監督就任当初は目的意識もなく、何となく「朝練をした」というだけで自己満足感に浸っているような選手も一部いたそうだが、そんなことであれば朝練なんかせずに休養に充てたほうがよっぽど体のためになると田島は考えていた。

選手と積極的にコミュニケーション

その後も積極的に選手と会話するように心がけた。1日2時間という練習時間のなかで、ムダだと思われるものは徹底的に排除し、練習前の準備や練習後の後片付けも選手全員で行うことを徹底していった。1分1秒でもムダな時間を作らせないというのが当初の目的でもあったが、選手たちも田島の意図を理解し、少しでも練習時間が多く確保できるように上級生、下級生と関係なくグラウンドをところ狭しと動き回った。

「他校の監督さんによっては、コロナ禍になってから選手との会話が減ったという人もいるかもしれませんが、私はむしろ逆ですね。選手たちとの会話はコロナ前よりも多くなりました。誰か一人でもみんなと違う方向を向いてしまうと、組織は1つにまとまらないものです。そうした状況を作らないようにするためにも、私のほうから積極的に会話するようにしていました」

すると、当初は田島との会話がぎこちなかった選手たちも、気づいたときにはお互いに本音で話すようになっていた。そうして田島は選手たちの性格や個性をつかんでいった。

「『名門校だからこうでなくてはならない』という考え方に固執してしまうと、自由にモノが考えられなくなりますよね。

たしかに昭和の時代はそれでもよかったのかもしれませんが、時代は平成、令和と変わって指導方針もあらためなくてはなりません。昭和の頃でしたら、『鉄拳制裁は当たり前、上級生の意見は絶対である』というのが当たり前とされてきましたが、今そんなことを言っていたら間違いなく淘汰されてしまいます。

組織力を高めていくには、『たとえ名門校であっても、時代の変化に合わせて自分たちも変えていかなくてはならない』ということも必須だと、私は考えているのです」

けだし至言である。コロナですべてが悪い方向に行ってしまったわけではない。自分たちの考え方一つでプラスに転換することだってできる。指導者が指導方針をあらためることはたいへん勇気のいることかもしれないが、田島は「選手たちにとって必要なこと」だと判断し、すんなり変えていくことができたのだ。

コロナに翻弄された甲子園

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