リオで一躍名をはせた「タカマツ」
昨年夏のリオデジャネイロ五輪で日本は12個の金メダルを取りました。その一つがバドミントンの女子ダブルスによるものです。
日本バドミントン界としては、初の五輪金メダル。その偉業を達成したのは高橋礼華、松友美佐紀の「タカマツ」ペアでした。
日本のバドミントンはなぜか、ダブルスのペアを四文字で表す「ならわし」があります。ちょっと、その歴史を振り返りましょう。
昨年夏のリオデジャネイロ五輪で日本は12個の金メダルを取りました。その一つがバドミントンの女子ダブルスによるものです。
日本バドミントン界としては、初の五輪金メダル。その偉業を達成したのは高橋礼華、松友美佐紀の「タカマツ」ペアでした。
日本のバドミントンはなぜか、ダブルスのペアを四文字で表す「ならわし」があります。ちょっと、その歴史を振り返りましょう。
これまで、バドミントンの関係者にどれだけ聞いても、いつから四文字でペアを表すようになったのかは分かりません。
ただ、四文字ペアを広めたのは、間違いなく、小椋久美子、潮田玲子の「オグシオ」でしょう。その系譜が今の「タカマツ」につながっています。
スポーツ界ではまれとも言える、ペアが2人もきれい、ということで「オグシオ」は注目を集めました。出場を逃した2004年アテネ五輪前後から、彼女たちの人気は高まっていきます。テレビにも出演し、知名度は上がっていったのですが、本人たちの思いはこうだったと記憶しています。
「人気先行だと言われるのは嫌」
周りから、「実力が日本代表になっていない」と陰口を言われたそうです。
アテネ五輪出場がならなかった後、2人は当時所属していた三洋電機の体育館で話し合い、2008年北京五輪出場を誓い合ったそうです。
「人気先行」のレッテルをはがすために、彼女たちは、まず「日本一」を目指しました。そして、2004年の全日本総合選手権で初優勝し、以降、ペアを解消する2008年まで5連覇を果たします。そして、2005年にはデンマークオープンでも優勝し、容姿だけではなく、実力も備わっていることを証明します。
なぜ「オグシオ」はペアになったのでしょう。
別々の高校に通っていた2人でしたが、実力は全国トップクラス。高校1年の時に、アジアジュニア選手権の合宿に呼ばれました。その時、2人でダブルスを組むように指示されます。その時のことを2人に聞くと、いつもこう言っていました。
「私たち、『余り物』だったんです」
2人の話を要約すると、先輩たちが先にペアとして組まれていき、最後に残ったのが2人だったというのです。しかし、当時の強化担当者に聞くと、2人を結び着けるのは必然だったと言います。
それはなぜなのか。170センチを超え、パワーを生かした猪突猛進の豪快なスタイルだった小椋。一方の潮田は、冷静沈着で技巧に優れたタイプ。対照的な2人が互いを補完するのが、指導者には見えていたのでしょう。
性格的にも馬が合ったようです。先に三洋電機に入社が決まったのは小椋。その小椋が潮田を三洋電機に誘ったのです。アテネ五輪直前に小椋がケガをし、潮田はほかの選手ともペア結成を打診されますが、小椋とのペアにこだわったといいます。記者会見では質問を受けると、2人で顔を見合わせて、どちらが答えるかをアイコンタクトで確認する姿が印象的でした。
ダブルスとしての2人の力はもちろんですが、彼女たちはシングルスとしても実力十分でした。
小椋は社会人1年目に全日本総合のシングルスで初優勝。潮田も2003年に3位に入っています。個々の実力がダブルスとしての2人の力を支えていました。
2007年に世界選手権で銅メダルを獲得した2人。帰国した時、成田空港には多くの記者が出迎えました。実力と人気がかみ合った瞬間でした。
名実ともに日本のトップとなったのぞんだ北京五輪でしたが、準々決勝で敗退しました。
当時のバドミントン界は中国勢が席巻しました。女子ダブルスもまさにそうで、「オグシオ」も中国勢には、なかなか歯が立ちませんでした。
北京五輪では準々決勝で、この大会の金メダルを獲得する中国ペアに21―8、21―5と、完敗しました。
そして、北京五輪で日本のバドミントン女子ダブルスを一躍有名にするペアが現れます。
「オグシオ」の陰に隠れていたライバルの「スエマエ」です。(続く)