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54年越しマラソン完走した不屈のランナー金栗四三 1912年ストックホルム大会【オリンピック珍事件】

2024 7/7 06:00SPAIA編集部
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30キロ地点で意識失い倒れ込む

1912年、スウェーデンのストックホルムで開催された第5回オリンピック。この大会で日本人初のオリンピック選手として出場した金栗四三(かなくり・しそう)の物語は、オリンピック史に残る感動的なエピソードとして今も語り継がれている。

金栗は当時20歳。日本からの長い船旅を経てストックホルムに到着した。しかし、彼を待ち受けていたのは、想像を超える過酷な環境だった。気候の違い、食事の変化、そして時差ボケ。これらの要因が重なり、金栗の体調は万全とは言えない状態だった。

7月14日、マラソンのレースがスタート。気温30度を超える猛暑の中、金栗は懸命に走り続けた。しかし、約30キロ地点で突如として意識を失い、道路脇に倒れ込んでしまった。そこで彼の1912年のオリンピックは終わったのだ。

しかし、これは金栗の物語の終わりではなかった。むしろ、54年後に起こる奇跡の始まりだった。

54年8カ月6日かけて「完走」

1964年、東京オリンピックが開催された。この大会に合わせて来日したスウェーデンのスポーツ記者が、金栗の存在を思い出したのだ。彼は当時73歳になっていた金栗を訪ね、1912年の未完のレースについて尋ねた。

この出来事がきっかけとなり、金栗は再びストックホルムを訪れることになった。そして1967年3月20日、54年前に途中棄権したその場所から、74歳になった金栗は再び走り始めた。

沿道には大勢の人々が集まり、彼の走りを応援。金栗は54年前に倒れた地点から走り、無事にゴールテープを切った。タイムは54年と8カ月と6日。おそらくオリンピック史上最も遅い「完走」となった。

記録や順位だけではないスポーツの価値

この出来事は、単なるスポーツの逸話以上の意味を持っている。それは人間の不屈の精神と、夢を諦めない心の強さを象徴している。

金栗の人生は、この一瞬だけではない。彼は日本のマラソン界の先駆者として、多くの功績を残した。1920年に始まった箱根駅伝の開催や後進の育成にも尽力し、多くのマラソンランナーを育て上げた。

彼の生涯を通じての教えは「走ることは人生そのもの」というもの。金栗にとって、マラソンは単なるスポーツではなく、人生の縮図だった。途中で倒れても、何十年かかっても、最後まで諦めずにゴールを目指す。その姿勢は、多くの人々に感動と勇気を与えた。

2012年、金栗の偉業を讃えて、ストックホルムに彼の顕彰銘板が設置された。その像は、今も多くの人々に不屈の精神を伝え続けている。

金栗四三の物語は、オリンピックの精神そのものを体現している。勝敗だけでなく、参加することに意義がある。そして、どんなに時間がかかっても、自分の目標に向かって挑戦し続けることの大切さを教えてくれる。

現代のオリンピックでは、わずか数秒の差が金メダルと無冠を分けることもある。しかし、金栗の54年越しの完走は、スポーツの本質的な価値が記録や順位だけではないことを私たちに思い出させてくれるのだ。

2021年に開催された東京オリンピック・パラリンピックでも、金栗の精神は生き続けていた。大会のスローガン「United by Emotion(感動で、私たちはひとつになる)」は、まさに彼が体現した精神そのものだと言えるだろう。

金栗四三の54年越しのマラソン完走は、オリンピック史に刻まれた感動的なエピソードの一つ。それは単なるスポーツの逸話を超えて、人間の可能性と不屈の精神を象徴する物語として、今も多くの人々の心に残り続けている。

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