正式採用された女子800m走で起こった悲劇
1928年、オランダのアムステルダムで開催された第9回オリンピック競技大会。この大会は、女性のオリンピック参加の歴史において重要な一歩となった。陸上競技に初めて女子種目が正式に採用されたのだ。しかし、この画期的な前進の中で、一つの種目が大きな論争を巻き起こした。それが女子800m走だった。
この種目は当時、女性にとっては「長距離」と考えられており、その導入には慎重論もあった。しかし、女性の競技能力を示す好機として、最終的には採用が決まった。
レースは世界中の注目を集める中、13カ国25選手が参加し、8月1日、2日の2日間にわたって行われた。予選を勝ち抜いた9選手が決勝へ進出。そのスタートの号砲とともに、選手たちは一斉に駆け出した。序盤は順調に進み、観客たちは女性アスリートの力強い走りに感嘆の声を上げていた。
しかし、ゴール間際になると状況は一変。トップでゴールしたリナ・ラトケ(ドイツ)は2分16秒8という好記録で優勝したが、その後に続く選手たちの中に異変が起きたのだ。何人もの選手がゴール後に激しい疲労のためにトラックに倒れ込み、中には意識を失う選手もいた。
この光景は、会場を騒然とさせた。医療スタッフが急いで倒れた選手たちの救護に当たる中、観客たちからは悲鳴や心配の声が上がる事態に。結果的に、全選手の無事が確認され事なきを得たが、この出来事は大きな波紋を広げることとなった。
1932年ロサンゼルス大会から除外へ
メディアはこの様子を大々的に報道。「女性には過酷すぎる」「健康に有害」といった見出しが踊り、女性の長距離走に対する懸念が一気に高まった。当時の社会通念も相まって、女性の身体能力に対する偏見が強まる結果となってしまったのだ。
この事態を重く見た国際オリンピック委員会(IOC)は、女子800m走の是非について議論を重ねた。結果として、この種目は「女性の身体に過度の負担をかける」という理由で、次回の1932年ロサンゼルス大会から除外されることが決定された。
この決定は、女性スポーツの発展に大きな影響を与えた。800m走のみならず、それ以上の距離の競技も女性には不適切とされ、長らくオリンピックでは女子200m走が最長距離種目となったのだ。
しかし、この判断には科学的根拠が乏しいという批判も多くあった。実際、1928年の大会で倒れた選手たちの多くは、適切なトレーニングや栄養管理を受けていなかったという指摘もある。また、男子選手でも激しいレース後に倒れることはあり、それが特に問題視されることはなかった。
32年にも及んだ空白期間
時代が進むにつれ、女性アスリートたちは800m以上の距離でも十分に競技可能であることを、様々な大会で証明していったが、IOCの方針を覆すには長い年月を要した。女子800m走がオリンピックに復活したのは、実に32年後の1960年ローマ大会でのこと。この間、多くの女性アスリートたちが自分たちの能力を示す機会を奪われたことになる。
1960年の復活後、女子800m走は着実に記録が更新され、現在の世界記録は1分53秒28(ヤルミラ・クラトフビロバ、1983年)まで短縮されている。これは、1928年の優勝タイムを20秒以上も上回る記録だ。
1928年アムステルダム大会の女子800m走は、女性スポーツの歴史における重要な出来事となった。それは進歩と後退、挑戦と偏見の象徴でもあった。この出来事は、スポーツにおける性差の問題や、科学的根拠に基づいた判断の重要性を私たちに問いかけている。
現在、女性アスリートたちは800m走に限らず、マラソンや長距離種目でも素晴らしい活躍を見せている。1928年の出来事から約1世紀を経た今、私たちはこの歴史を振り返ることで、スポーツにおける平等と公正の重要性を改めて認識することができるだろう。
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