100メートル障害で自身の日本記録を大幅更新
異色のハードラーが東京五輪出場を視野に入れている。31歳の寺田明日香(ジャパンクリエイト)。6月1日に行われた木南記念の女子100メートル障害で自身の持つ日本記録を0秒09と大幅に更新する12秒87をマークし、五輪参加標準記録まであと0秒03に迫った。
高校時代から将来を嘱望されながら、20代前半で一度引退。結婚、出産を経て、7人制ラグビーに転向し、2年前に陸上界に戻ってきた。寺田というアスリートの生き方を紹介したい。
「ママさんアスリート」として有名な寺田だが、筆者が寺田を初めて見たのは恵庭北高校に通う高校生の時。高校3年の時の2007年全国高校総体(インターハイ)での活躍は圧巻だった。
100メートル障害は1年次から3年連続優勝。3年生の時は、100メートル、400メートルリレーも制し、「3冠」に輝いた。100メートルを11秒71で走る走力に加え、170センチ近い身長もハードルに向いていた。3冠を達成した時、寺田は次のように語っていた。
「(翌年の)北京五輪には間に合わないけど、将来は五輪に出たい」
その「将来」が31歳になって迎える東京五輪になるかもしれないとは、高校生の寺田は露にも思わなかっただろう。
23歳で早々と引退「陸上を嫌いになった」
高校を卒業後も順風な競技人生だった。2009年には13秒05の日本ジュニア新(現在の呼び方はU20日本新)をマークし、その年のベルリン世界選手権にも出場した。日本選手権は2008年から3連覇。いずれは日本記録(当時は13秒00)を更新し、2012年のロンドン五輪出場も間違いなし、と思われていた。
しかし、2011年ごろから暗転する。故障や摂食障害に苦しんだ。ロンドン五輪出場はかなわず、2013年の日本選手権は自己ベストから0秒80も遅いタイムで予選落ちした。筆者の記憶もおぼろげなのだが、取材ゾーンを通る寺田の姿から、かつての自信に満ちあふれたオーラがなかったことを覚えている。この大会の直後、誰にも相談せず、引退を決めた。その時のことをこう振り返っている。
「陸上のことを段々と嫌いになってしまったと言うか、練習することも、競技場に向かうことですら嫌になってしまった。そうなるとこの競技を続けていく意味を見出せなくなってきた」
当時23歳。競技者としての寺田の五輪は終わったはずだった。
「背中で語れる母親になりたい」ラグビー挑戦を決意
その翌年、寺田は結婚し、出産もした。早稲田大人間科学部(通信教育課程)で幼児体育などを学んだ。アスリートとは無縁の生活だった。
引退の3カ月後、東京での64年ぶりの五輪開催が決まったが、自らが選手として出場することなど、頭にはなかった。寺田の夫で六つ年上になる佐藤峻一さんによると、「東京五輪は家族で見にいくもの。(14年に生まれた)娘と一緒に見たいと思っていた」という。
陸上引退直後から友人に7人制ラグビーへの転向を何度も誘われたが、その度に断ってきた。「やっと陸上をやめられたのになぜアスリートに戻らなきゃいけないの。もう人に評価されて生きたくない」と思っていたという。でも、引退から3年、16年リオデジャネイロ五輪で7人制ラグビーの女子日本代表チームが10位に終わったのを見て、気持ちが変わり始めた。寺田はそのころの気持ちの変化をこう語っている。
「アスリートとして活動することで、『背中で語れる母親』になりたいと思った。将来娘が壁にぶつかったときに、母親の私が努力していた記憶が何となくでもあれば、私の『頑張ってね』という言葉にも重みが増すんじゃないかと」
2016年、ラグビーへの挑戦に踏み出した。大学の卒業論文を執筆しながら練習に参加した。日本代表のトライアウトにも合格。その俊足をいかしたプレーを期待されたが、再び挫折を経験した。公式戦2戦目で足を骨折。ケガでプレーができない間、悩んだ。いくら足が速くても、長年取り組んできた選手には追いつけない「差」があると感じた。
東京五輪まであと2年と迫った2018年。一つの決断をした。
「潔くラグビーでの『負け』を認め、ラグビー選手を引退する」
陸上から最初に引退したとき同様の潔さだった。そして、娘の果緒ちゃん(6)にその背中を見せる舞台に選んだのは、一度は「段々と嫌いになってしまった」として表舞台から去った陸上だった。
回り道があったからこその成長
2019年にレースに本格復帰すると、6年間のブランクがうそのように、好記録を連発する。8月に13秒00の日本タイ記録、9月には19年ぶりに日本記録を更新する12秒97をマークし、ドーハ世界選手権にも出場した。
そして今年、日本記録をさらに更新し、12秒84の五輪参加標準記録突破まで、あと少しというところまで来ている。参加標準を突破して、6月24日から始まる日本選手権で3位以内に入れば、念願の東京五輪代表に内定する。仮に参加標準を突破できなくても、日本選手権で3位以内になれば、世界ランキングでの代表入りも十分にあり得る。
もちろん、ママさんとしての現実は楽ではない。夫の佐藤さんいわく「家事もしっかりこなしてくれる」。練習は週4日しかできない。それでも30歳を超えてなお、寺田は進化し続けることができるのか。
本人は「体力がある若い選手が有利になるケースもありますが、ハードルは体力と技術力の複合。もちろん、体力は1年ごとに減っていくかもしれませんが、ハードルを越える技術は、1年分確実に身に付けられます。なのでプラスに考えています」と前向きに語っている。
さらに「チームあすか」の存在が大きい。コーチ、トレーナー、栄養士、マネジャーからなるチームが一つになって、寺田の進化を支えている。ちなみに、マネジャーは夫の佐藤さんである。
織田記念で娘の果緒ちゃんを抱きかかえて表彰台に上がる寺田明日香。至福の瞬間だ(佐藤峻一さん提供)
陸上からの引退、7人制ラグビー転向、陸上への復帰。寺田の競技者としての人生は回り道しているようだが、どれも必要なことだったのかもしれない。
1度目の陸上の引退では「陸上は人生の一部だった」と気づかされた。ラグビーについても「メンタルもフィジカルも鍛えられたことは、陸上競技でも必ずいかせると思っている」。そして、いろんな経験があったからこその精神的成長を、夫の佐藤さんは感じている。
「かつては一方的に教わるだけで、世界が狭かった。でも今は、スポンサーも含めたチームみんなでスタートラインに立っていると寺田は思っている」
そして、寺田の幹の部分にある、最も大きな存在は娘の果緒ちゃんであることは間違いない。佐藤さんはこう語る。
「ママさんじゃなきゃやっていない。娘に走る姿を見せたいというのがモチベーションになっている」
最後にママさんアスリートとしての言葉を紹介して、今回の記事を終わりたい。
「女性としての幸せも、選手としての活躍も、両方追い続けたっていい。ママアスリートが胸を張ってがんばれる世の中になればいいなと思っています」
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