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おばたのお兄さんも挑戦!アーチェリーの歴代五輪日本代表の成績とメダリスト一覧

2024 8/18 16:01SPAIA編集部
山本博,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

70メートル先の的を狙うにはメンタルの強さ必須

お笑いタレントのおばたのお兄さんがフジテレビ系「ワイドナショー」の企画でアーチェリーに挑戦している。日本体育大学の大先輩にあたるアーチェリー界のレジェンド・山本博氏から指導を受け、高い素質を披露。2024年4月7日放送分では今後の大会出場など本格的な挑戦を勧められた。

旧石器時代に狩猟のために弓矢を使用したのが始まりとされるアーチェリーは、的を狙って1本の矢を射るシンプルなスポーツ。日本の弓道と区別するために「洋弓」と呼ばれることもあるが、弓の形態や競技の形態は様々な種類がある。わずかな雑念がミスにつながるため、メンタルの強さが勝敗の決め手となる競技だ。

オリンピックでは70メートルの距離で行われ、直径122センチの標的の中心に命中すると10点、その外側に向けて9点から1点までの円が並んでおり、外側は0点となっている。日本はこれまで計7個のメダルを獲得。男子の成績は以下の通りだ。

五輪アーチェリー競技男子日本代表の成績

道永宏、山本博、古川高晴がメダル獲得

1976年モントリオール五輪で道永宏が銀メダルに輝いたのが日本人第1号。両親ともにアーチェリー選手で、父は1969年の世界選手権日本代表だった。幼い頃からアーチェリーに親しんで育った道永は、同志社大学在学中に19歳で日本初のメダリストになった。

先述の山本博が最初のメダルを獲得したのが1984年ロサンゼルス五輪。横浜高校時代にインターハイ3連覇を達成し、日本体育大学3年生だった21歳の時に銅メダルを獲得した。

山本は1988年ソウルは8位、1992年バルセロナは17位、1996年アトランタは19位、2000年シドニーは出場を逃したが、2004年アテネ五輪で銀メダル。当時41歳で、実に20年ぶりの快挙だった。

山本に続いて日本に吉報をもたらしたのが古川高晴だ。初出場のアテネ五輪は22位、2008年北京五輪は6位と順位を上げ、迎えた2012年ロンドン五輪。決勝で呉真爀 (韓国)に敗れたものの銀メダルに輝いた。

さらに2016年リオデジャネイロの8位を経て臨んだ2021年東京五輪。武藤弘樹、河田悠希とともに出場した男子団体で日本初の銅メダル、個人でも銅メダルを獲得した。

2024年パリ五輪は中西絢哉と斉藤史弥が2回戦、古川高晴が1回戦で敗退。2023の世界選手権で銅メダルを獲得した男子団体も準々決勝で韓国に敗れ8位だった。

女子はロンドン五輪団体で銅メダル

続いて女子も見ていこう。ミュンヘン五輪以降の歴代日本代表の成績は以下の通りとなっている。

五輪アーチェリー競技女子日本代表の成績

早川漣、蟹江美貴、川中香緒里が快挙

1984年ロサンゼルス五輪で石津裕子が4位、2000年シドニー五輪で川内紗代子が5位、2008年北京五輪で早川浪が6位などの実績があるが、メダルにはあと一歩届かなかった。

初めて表彰台に立ったのは2012年ロンドン五輪。早川漣、蟹江美貴、川中香緒里が出場した女子団体準決勝で韓国に敗れたものの、3位決定戦でロシアに勝ち、銅メダルに輝いた。

2021年東京五輪では早川漣が3回戦、中村美樹も3回戦、山内梓は2回戦で敗退。女子団体は5位だった。

2024年パリ五輪は野田紗月が3回戦敗退。2023年の世界選手権女子個人で銅メダルを獲得していたが、五輪のメダルには届かなかった。

混合団体はパリ五輪で5位

最後に、2021年東京五輪から採用された混合団体の結果は以下の通りとなっている。

五輪アーチェリー競技混合団体日本代表の成績


2021年東京五輪では武藤弘樹&山内梓が1回戦でフランスに敗れた。

2024年パリ五輪では中西絢哉&野田紗月が5位入賞。1回戦でトルコを下したが、準々決勝でアメリカに敗れた。

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