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選手としてだけではなく指導者として日本柔道を支えた名コーチ

2017 1/30 21:11
柔道,ⒸShutterstock.com
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Photo by maRRitch/Shutterstock.com

日本のお家芸でもある柔道。 試合では主に選手のみが注目されるが、その裏には監督やコーチの存在がある。 日本柔道を選手としてだけでなく指導者としても支えてきた名コーチを紹介する。

弟子との絆・古賀稔彦

1992年バルセロナオリンピック、柔道男子71キロ級で金メダルを獲得した古賀稔彦さん。世界選手権でも3個の金メダルを獲得するなどしたが、怪我に悩まれる柔道人生だった。
2000年に現役を引退し、全日本女子柔道チーム強化コーチに就任。2004年のアテネオリンピックでは、弟子の谷本歩実さんが金メダルを獲得。試合後に谷本選手が真っ先に恩師である古賀さんの元へ駆け寄って抱擁を交わした場面が話題となるなど、弟子に愛される指導者としても知られるようになった。
また、2003年からは町道場「古賀塾」を開き、子どもの育成に努めている。

自身の受けた重圧をもとに・斉藤仁

1986年、ソウルオリンピック95キロ超級で大会唯一の柔道での日本人金メダリストとなった斉藤仁さん。 現役を引退してからは、1989年から国士舘大学で柔道を指導。全日本柔道連盟男子強化ヘッドコーチを経て、2004年のアテネオリンピック、2008年の北京オリンピックで柔道男子日本代表監督を務めた。
北京オリンピックの代表監督時代には、100キロ超級で金メダルを獲得した石井慧さんが「オリンピックのプレッシャーなんて斉藤先生のプレッシャーに比べたら、屁の突っ張りにもなりません」と語り、流行語大賞を受賞したことで有名にもなった。

柔道だけでなく人としての成長を・山下泰裕

1984年のロサンゼルスオリンピックで試合中に肉離れを起こしながらも金メダルを獲得したことで知られる山下泰裕さん。 1985年の全日本選手権の優勝を最後に現役を引退。その後、東海大学の監督や全日本柔道連盟でヘッドコーチ、強化委員長、理事などを歴任している。
指導者としては、「勝つ経験ばかりしている自分が負けた選手の気持ちを理解できるだろうか」という悩みを持ちながらも、柔道だけにとどまらない一人の人間としての成長に向けて指導を行っている。

リオ五輪全階級でのメダル獲得へ・井上康生

2000年シドニーオリンピックの金メダル獲得、世界柔道3連覇などの成績を収めた井上康生さん。 2008年に現役を引退し、指導者の道へ。スポーツ指導者海外研修員として、スコットランドへ留学して英語と欧州の柔道を学んだ。帰国後は東海大学柔道部副監督、全日本コーチを経て、2011年に全日本男子代表監督に就任。スコットランド留学の経験に加えて、科学トレーニング、相手選手の映像分析、他国の格闘技などを用いた指導を実施。
2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、金メダル2個を含む7階級すべてでのメダル獲得という快挙を成し遂げた。

名門道場「講堂学舎」で数々のメダリストを輩出・吉村和郎

現役時代の吉田和郎さんは、高校生の頃から国内の大会で上位に入賞する選手だったが、その後は負傷や政治問題でオリンピックには出場できず、世界大会での入賞は1973年の世界選手権での銅メダルのみ。1980年に引退後、講堂学舎で指導者を務めることになった。
講堂学舎は、リオデジャネイロオリンピックの柔道男子で日本に2大会ぶりの金メダルをもたらした大野将平選手を輩出したことでも知られている、柔道界の名門私塾。吉村和郎さんはこの講堂学舎でオリンピック金メダリストの古賀稔彦さん、吉田秀彦さん等を育て上げた。
また、1986年からは全日本の代表チームでも指導者として活躍。厳しい練習ながらも選手とのコミュニケーションで信頼関係を構築し、2004年のアテネオリンピックでは、女子の代表監督として7階級中、金メダル5個、銀メダル1個の日本女子柔道最多となる快挙に導いた。

まとめ

日本の柔道は、お家芸と称されるからこそ、チーム一丸となってその期待に応える必要がある。 現役時代にプレッシャーを感じたからこそ、引退後も日本柔道のためにと熱心な指導に励んでいるのではないだろうか。 今後、日本の柔道選手たちがどのように活躍してくれるのか楽しみだ。