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オリンピック3連覇の大偉業「天才柔道家」野村忠宏を振り返る

2016 12/16 20:07
野村忠宏,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

前人未到のオリンピック3連覇を果たした、柔道の野村忠宏さん。天才柔道家と言われている彼だが、小さな頃から天才的だったかというと、実はそうではなかった。彼のオリンピックまでの歩みを、その功績と共に振り返る。

誰からも期待されていなかった幼少期

野村忠宏さんが柔道と出会ったのは3歳の頃。祖父が家の隣に道場を創設していて、毎日のように練習に励んだ。だが、当時から才能を発揮していたというわけではなく、大会などでも目立った成績はほとんどなし。本人曰く「勉強そこそこ、柔道そこそこ」の普通の男の子だったそうだ。

中学生になっても、身長が140センチだったこともあり、大会などでも奈良県ベスト16が最高といったところだった。高校時代にようやく努力が実り、3年生の時に奈良県大会で優勝してインターハイ初出場を果たす。

後に天才柔道家と呼ばれることになる彼だが、実は初の全国の舞台まで15年もかかったのだ。

転機が訪れた大学時代

高校卒業後は天理大学へと進学し、ここで転機が訪れる。柔道部の指導をしていた細川信二さん(ロサンゼルス五輪60キロ級金メダル、ソウル五輪60キロ級銀メダル)に言われたひとことがきっかけだった。

「ホンマに強くなりたいなら、取り組みを変えろ」

出典: FORZASTYLE


それまで野村さんは練習は毎日行っていたものの、どこか気の抜けたところがあった。

「しんどいけどこれ耐えたら終わりや」「あと何分耐えたら終わりや」

出典: FORZASTYLE

などなど、とにかく与えられたメニューを消化することだけを考えていたのだ。 しかし、監督は続けて

「すべての練習をこなせないならそれで構わない、だが1つ1つの練習に全力で集中しろ」

出典: FORZASTYLE


と言い放つ。たとえば当時は乱取りの練習を13本やっていたそうなのだが、13本全部をこなすことを考えるのではなく、途中でバテてもいいから1本1本に集中することが大事なのだと。

天才は天才でも、集中の天才だった

この言葉をもらって以降、たとえ軽い短めの練習でも常に全力で取り組んだそうだ。それまではサボりたいなと思ったら監督から離れたところで手を抜きつつ練習していたが、気持ちを入れ替えて「どうだ!」と監督に見せつけるくらいに気合を入れて頑張った。

元々短期間での集中力には天才的なものがあったそうだ。しかし、それが長く続かないのが悩みの種だった。先輩の篠原信一さんいわく、「他の人が1時間集中できるとしたら、野村は40分しかもたない。だが、その40分で全部を出し切ることができる」とのこと。1つ1つの練習に対して全力を出すというのは、彼にとってはピッタリのアドバイスだったのだろう。

才能が一気に開花、柔道史上初のオリンピック3連覇達成

その指導が実を結んだのか、大学4年生の時に全日本選抜柔道体重別選手権で優勝して初の全日本大会制覇を果たすと、アトランタオリンピックの代表に選ばれ、見事に金メダルを獲得。まさに才能が開花した瞬間だった。

それ以降も安定した成績を残し、特に全日本柔道選抜選手権は1996~98年の3連覇を含む4度の優勝。国際大会でも結果を出し、2000年のシドニーオリンピックのメンバーにも順当に選ばれる。

シドニーオリンピックは、連覇の重圧がかかる中での試合だったが、終わってみるとあっさりと金メダルを獲得、2連覇を達成する。本人曰く、この時は心・技・体のすべてがそろっていて、負ける気がしなかったとのこと。その後は引退も考え、2年ほど柔道から離れていたが、気持ちをアテネに切り替えて再び柔道に打ちこむことに。

心も体も充実していたシドニーと違って不安の中で迎えたアテネオリンピックだったが、ふたを開けてみると金メダルを獲得し、前人未到の3連覇を達成。オリンピック3連覇は柔道では史上初、全競技を通してもアジア人初の快挙だった。

4度目のオリンピックは右膝の大けがで断念、引退へ

それからまた2年ほど柔道から離れていたが、今度は迷うことなく北京オリンピックを目指す決意をする。しかし、2007年に練習中に右ひざ靭帯断裂の大けが。「ブチブチッ!」という音がはっきりと聞こえるくらいの大けがだった。

手術をしていると北京に間に合わないと思い、テーピングでごまかしながら練習を続けたが、2008年にはかつて無敵を誇った全日本柔道選抜選手権で敗退。北京の代表からは落選してしまった。

その後、右ひざを手術して現役を続行するも、2015年に引退。引退後は引き続きミキハウスに所属しながら後進の育成に励みつつ、時にはテレビでのタレント活動にも精を出している。

まとめ

野村忠宏さんは天才柔道家というよりは、努力や集中力の天才だったのだ。小さい頃はまったく注目されていなかった。 しかし、小さい頃からずっと続けてきた練習は、決してウソをつかなかった。幼少時代から積み上げてきたものがあったからこそ、大学で一気に才能が開花したのだろう。