お家芸でリオの雪辱
東京五輪の日本選手団金メダル第1号は、お家芸の柔道で男子60キロ級決勝の高藤直寿(28)=パーク24=が獲得した。決勝で楊勇緯(台湾)を接戦の末に破り、2016年リオデジャネイロ五輪で失意の銅メダルに泣いたリベンジを達成。自国開催の祭典で悲願の頂点に立った。「豪快に勝つことはできなかったが、これが僕の柔道」と誇れる「金」だった。
この階級は、野村忠宏が1996年アトランタ五輪から2004年アテネ五輪まで3連覇の偉業を達成したが、その後は優勝に届かなかった。ジュニア時代から「天才」と称され、2013年の世界選手権を20歳で初制覇した不屈の柔道家が雪辱を期して臨んだ人生の大一番。『柔道IQ』の高さを評価される万能型ならではの奔放な動きと鋭い足技でついに輝きを放った。
五輪の長い歴史をひもとくと、日本勢の金メダル第1号は1928年アムステルダム五輪までさかのぼり、陸上男子三段跳びの織田幹雄が最初の金字塔をもたらした。
1964年東京五輪は重量挙げの三宅義信
1964年東京五輪で日本の金メダル第1号は、重量挙げの三宅義信だった。今回の東京五輪で2004年アテネ五輪から5大会連続出場した三宅宏実(いちご)の伯父にあたるアスリートだ。そんな兄の活躍に刺激を受けた宏実の父・義行氏は、4年後のメキシコ五輪で兄とともに表彰台に立った。
宏実は今大会で記録なしに終わり、現役引退を表明。競技終了後に「いつまでも五輪に出続けたいが、体力の限界。次の道が待っている」と涙ながらに語った。
1984年ロス五輪は「おじいちゃん選手」
日本の五輪最年長金メダリストは、ライフル射撃のラピッドファイアピストルを48歳で制した蒲池猛夫。1984年ロサンゼルス五輪は日本勢に待望の「金」第1号をもたらした。当時すでに孫もおり、「おじいちゃん選手」と呼ばれたことでも知られている。
1988年ソウル五輪での金メダル第1号は、後にスポーツ庁初代長官となった競泳男子100メートル背泳ぎの鈴木大地。日本競泳界にとって16年ぶりの頂点だった。決勝はスタートで一世を風靡した潜水キック「バサロ」を普段より長く続けてライバルを揺さぶり、55秒05の日本新で日本選手団初の金メダルに輝いた。
岩崎恭子「今まで生きてきた中で一番幸せ」
1992年バルセロナ五輪で金メダル第1号となったのは14歳のシンデレラガール、競泳の岩崎恭子(静岡・沼津五中)。番狂わせを演じて日本勢最年少での五輪金メダルを獲得し、「今まで生きてきた中で一番幸せです」と記憶に残る名言を残した。大会前までの自己ベストを4秒以上も縮める驚異の泳ぎで鮮烈なサプライズを残した。
田村亮子は「最高で金、最低でも金」
人気漫画の主人公にちなみ「ヤワラちゃん」の愛称で親しまれた柔道女子48キロ級の田村亮子(現・谷亮子)は、日本スポーツ史に輝くヒロインでもある。
五輪は16歳で初出場した1992年バルセロナ大会、1996年アトランタ大会でともに銀メダル。そして2000年シドニー五輪は「最高で金、最低でも金」と三度目の正直を信じて挑む。決勝は36秒、鮮やかな内股で一本勝ち。悲願の金メダルをつかみ「初恋の人にやっと巡り合った感じ」と歓喜する姿は大きな話題を集めた。
2004年アテネ五輪前にはプロ野球オリックスの谷佳知外野手と結婚し、夫婦で一緒に出場した大舞台では「谷でも金」の有言実行で2連覇を果たした。
ロンドン五輪は松本薫、リオ五輪は萩野公介
2012年ロンドン五輪は、柔道女子57キロ級の松本薫が日本選手団の金メダル第1号となった。2016年リオデジャネイロ五輪は、競泳男子400メートル個人メドレー決勝で萩野公介が日本新記録をマークし、日本選手金メダル第1号に。
日本選手団全体に大きな勢いを与える金メダル1号は、数々の名場面や名言に彩られている。
【関連記事】
・五輪柔道の日本人歴代金メダリスト一覧、競技別最多39個
・五輪体操の日本人歴代金メダリスト一覧、内村航平ら31個獲得
・田中希実と卜部蘭は日本人初の五輪1500mでメダル獲得の快挙なるか