レスリングの成立は紀元前、古代オリンピックの人気競技だった
レスリングの起源ははっきりしていないが、競技としては紀元前3000年には成立していた。古代ギリシアでレスリングは科学と神の芸術とも言われていたそうで、上流階級の体育としても奨められていた。
レスリングは古代オリンピックの人気競技。他の格闘技に比べて危険性が低いことから五種競技にも加えられている。この時のレスリングは男性の競技と言えるが、紀元前7世紀のスパルタでは女性もレスリングを行っている。
しかしやはりスパルタは例外的で、女子レスリングが競技として復活するのは1970年代のことだ。
古代オリンピック終了後のレスリングと近代オリンピックでの復活
古代オリンピックで絶大な人気を誇ったレスリングだが、393年皇帝テシオドスによって「違反」とされ、競技自体が禁止されてしまう。これによって古代オリンピックも終了し、レスリングは公の場では見られない競技となってしまった。
しかしその人気は根強く、密かに継承し続けた人たちがいる。それによって禁止された競技でも消滅を免れ、1896年の近代オリンピック開始と共に復活を遂げた。基本的なルールの変更もなく、これまで続いてきている。
1970年代には男性のみならず、女性のレスリングもヨーロッパで復活する。1985年にフランスで行われた女子国際大会「ロジャークーロン大会」を皮切りに、1987年からは世界選手権も始まった。この世界選手権の第1回には日本女子も参加している。2004年になるとオリンピック競技としても女子レスリングが加えられた。
日本へのレスリングの輸入と戦後の柔道禁止によるレスリングの普及
レスリングが日本に入ってきたのは、早稲田大学柔道部のアメリカ遠征がきっかけだった。1929年、早稲田大学柔道部はアメリカ遠征でワシントン大学を訪れ、そこでレスリングを目にしたという。当時の遠征メンバーであった八田一朗がこれに魅了され、帰国してレスリング部を創設した。
その後、終戦を迎えてGHQの指導を受け、学校で武道を指導することができなくなったことを背景に、多くの柔道家がレスリングに流れた。日本のレスリングの発展は八田一朗が支えたといっても過言ではなく、大日本アマチュアレスリング協会を創立するとともに、オリンピックに選手を送り込む。
1960年のローマ五輪では一つもメダルを獲得できなかったが、次の東京五輪では金メダル5個を獲得するという大躍進を遂げた。
日本レスリングを鍛え上げ、今も受け継がれている「八田イズム」
八田一朗は講道館柔道5段の柔道家で、レスリングとの出会いから熱心に研究を行い、多くの選手を世界レベルに育て上げてきた。
その方法は厳しさと奇抜さで有名だが、考え方は至極合理的。合宿所で電気や音楽をつけっぱなしにした状態で眠らせたり、夜中に叩き起こして点呼をとるだけでまた寝かせるなどの指導は、選手がどんな環境でも眠れるようにする訓練だった。
「米が食べられないから力が出ない」と訴えれば合宿所の食事はパンにかわり、「パンを食べて力が出るようにしろ」と言ったという。これらの指導は、選手が負けたときに自分の実力以外の要因を探すことを禁止させるためだった。
また、人間の多くは左利きか右利きだが、八田一朗は選手に両利きなることを求めた。そのために歯磨き、箸をもつ手、服のボタンをとめる手、鞄を持つ手など、あらゆる場面で利き手とは反対の手を使うことを意識させる。そして当時は海外遠征自体が非常に困難であったにもかかわらず、あらゆる手段を用いてこれを実現する。それと同時に、世界に出しても恥ずかしくない振る舞いを選手ができるように、国内の一流レストランで食事のマナーの練習もさせていた。
この指導方針は「八田イズム」と呼ばれ、今でも多くのレスリング指導者の指針となっている。
レスリングの代表的な国内大会と国際大会
レスリングの大会は世界各地で行われている。オリンピック競技としてはフリースタイルとグレコローマンスタイル、そして女子フリースタイルの3種類が行われるが、オリンピック以外では他にもいくつかの種類がある。
大会の方式は敗者復活戦とノックアウト方式を併用したトーナメントが主流。日本国内の大会として有名なのは天皇杯全日本選手権、全日本大学選手権などがあり、国際大会で有名なものとしては世界大会、世界選手権、オリンピックなどがある。日本人選手はアジア大会やブルガリアのダン・コロフ国際大会などにも出場している。
まとめ
紀元前にその起源を持ち、根強い人気を誇るレスリングは、他の格闘技から見て比較的安全であることも広く普及した一つの要因と言える。八田一朗の尽力によって世界でその強さを見せてきた日本レスリングのさらなる発展が楽しみだ。