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レスリングで金メダリストとなった土性沙羅選手の功績をご紹介

2016 12/16 20:07
レスリング,ⒸShutterstock.com
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Photo by kstudija/Shutterstock.com

2016年夏に開催され、未だ興奮も冷めやらぬ“リオデジャネイロオリンピック”。レスリングで初出場ながら金メダリストとなった土性沙羅選手。重量級の階級のため“ブルドーザー”の異名をとる彼女の生い立ちや功績を紹介する。

土性沙羅選手のレスリングとの出会いと生い立ち

土性沙羅選手は、1994年10月17日に三重県松阪市で生まれた。父親のトレーニングを受けて育った幼少期。父親もレスリングをやっていた経験があり、指導を受けていた故吉田栄勝さん(吉田沙保里選手の父親)と知り合いだったため、土性沙羅選手は一志ジュニア教室に入校しレスリングを学ぶ。そして日々厳しいトレーニングと、タックルを叩き込まれ成長していく。
小学校4年生になった土性沙羅選手は「全国少年少女選手権」で3連覇を達成。松阪市立鎌田中学校に進学し、「全国中学生選手権」では2連覇を達成して実力を伸ばしていく。

スポーツ環境が整った高校に進学した土性沙羅選手

2010年に松阪市の中学を卒業。ジムなどの環境が整っており、スポーツに力を入れている学校として有名な、愛知県の至学館高校に進学。
高校1年のときに開催された「全国高校女子選手権」で早くも優勝を飾る。続く「全日本レスリング選手権大会」では井上佳子選手に敗れ、惜しくも準優勝。翌年の「全日本選抜」では、井上佳子選手を破り、屈辱を果たし優勝するも、実績が足らず世界選手権代表には選出されなかった。
しかし高校時代には「高校選手権」で3連覇、「世界ジュニア」や「ゴールデングランプリ」などで優勝するなど数々の戦績を残す。

高校を卒業し至学館大学へと進んだ土性沙羅選手

「全日本レスリング選手権大会」で2連覇を達成した土性沙羅選手は、2013年に至学館高校を卒業。そのまま至学館大学へと進学する。
そして「全日本選抜」で昨年に続いて2連覇を達成。土性沙羅選手の悲願だった世界選手権代表に選抜される。「世界選手権」は準決勝で負けてしまったが、3位決定戦では勝利し銅メダルを獲得。2014年には「アジア選手権」と「ワールドカップ」を制覇。「全日本選抜」でも勝利を重ね、昨年に続いて世界選手権代表に選出。決勝戦まで進むも逆転負けで銀メダルとなった。

オリンピックへとつながる2015年の土性沙羅選手の活躍

2015年も全日本選抜で連勝した土性沙羅選手は「世界選手権」へと出場。順当に勝ち進み優勝の期待が高まったが、準々決勝で敗退。3位決定戦では競り勝ち銅メダルとなった。
この大会で銅メダルとなったことで規定をほぼ満たし、年末に開催される「全日本選手権」に出場すれば、リオデジャネイロオリンピックへの切符を獲得できる条件がそろった。そして行われた「全日本選手権」では見事優勝し、オリンピックへの期待がつながる勝利となった。

女子レスリング重量級に新たな歴史を刻んだ土性沙羅選手

そして2016年、リオデジャネイロオリンピックが開催。初戦でアリナ・スタドニク(ウクライナ)に11-2で勝利。2回戦はテクニカルフォールを決めて勝ち進み、準々決勝、準決勝も圧倒的な得点差をつけて勝利を重ねていく。
むかえた決勝戦、ナタリア・ボロベワ(ロシア)に先制点を許すも、第2ピリオドで同点に追いつき試合終了。同点となったがビッグポイントで上回る土性沙羅選手が優勝。初出場ながら金メダルを獲得した。
また重量級では初の金メダル獲得となったことも、日本の女子レスリング界に新たな歴史を刻んだ瞬間となった。

まとめ

女子レスリング土性沙羅選手の生い立ちや功績を紹介した。重量級で金メダリストとなったことにより、日本の女子レスリング界に新たな歴史を刻んだ土性沙羅選手。2020年に開催される予定の東京オリンピックでも25歳という若さのため、次のオリンピックでも活躍が期待されている。