求めるのは相撲道
マスコミの前では一切しゃべらない貴乃花親方だが、九州場所の千秋楽後の、後援者を集めた打ち上げパーティーでは、暴行疑惑についての自らの思いを語っている。その全文を様々なメディアが報じているが、貴乃花親方の相撲に対する考えがはっきりしている言葉がいくつかある。
「私は巡業部長として、相撲協会の理事であります。(中略)他の部屋の力士、巡業参加の力士がその傷を負ったとしても、私は同じく、正面を切って警察の方にご相談に行きます。これが信念でございます」
「誰が被害者で誰が加害者か。正当に裁きをしていかなきゃいけないというのが、巡業部長の責任であります。仮に私の弟子が他の力士、もしくは他の一般の方へ危害を加えたのであれば、もっと公にして捜査をお願いしている次第です」
「私は自分の弟子で本気で相撲道に向き合う力士しか育てたくありません。また、その信念でやっております。決して相手を傷つけることなく、勝負が終わったならば、相手に手を差し伸べられるだけの度量、器量、実力を身につけさせたいと思います」
「日本国体を担う相撲道の精神、相撲道の精神とは、角道と言います。(中略)この角道の精華に嘘つくことなく、本気で向き合って担っていける大相撲を。角界の精華を貴乃花部屋は叩かれようが、さげすまれようが、どんなときであれども、土俵にはい上がれる力士を育ててまいります」
貴乃花親方の言葉を要約すると以下の2点になる。
「巡業部長の責務から、誰が加害者、被害者なのかはっきりさせる。うやむやにはさせない。それは他の部屋の力士がけがをしても同じ」
「貴乃花部屋は相撲道、角道に邁進する」
そして、それはともに「信念」であるとも語っている。この一連の騒動で、一般の人は良くも悪くも貴乃花親方から感じていたのは、まさにこの信念ではなかっただろうか。
現役時代から、貴乃花親方を見てきたものからすれば、この信念にも納得する部分は多い。彼が追い求めていたのは、現役の時から相撲道という道だった。
千秋楽まではしゃべらなかった現役時代
貴乃花親方は力士の時、本当にしゃべらなかった。筆者が取材したのは彼の最晩年だったから若いときは知らないが、大横綱だった貴乃花は余計なことはしゃべらないどころか、全くしゃべらない力士という印象だった。
何を質問しても無言。大きく息をするときに「スー」「ハー」という声だけ聞こえてくる。新聞記者はその二つの音だけで、原稿を書く。筆者にとっては苦痛だった。そして、何もしゃべらないのを分かっている上で質問をするというのも、これまた苦痛である。
では、貴乃花が一切しゃべらないのかというとそうでもなかった。千秋楽が終わり、15日間の相撲を取り終えると、堰を切ったようにしゃべった。場所が終わるまでは、一切しゃべらない。それは礼儀でもあるし、格闘家として相手に情報を出さないという考え方だったかもしれない。いずれにせよ、それが彼の相撲道で、話さないことは彼の信念だったと思う。現在の一連の騒動で、相撲協会の聴取に応じない姿に重なるものがある。
そして、ほかの部屋の力士と仲良くしている姿を見たことがなかった気がする。場所中は、どの力士もほかの力士とはほとんどしゃべらないものだが、貴乃花は常に1人(付け人は周りにいるが)だったような気がする。支度部屋では四股を踏んだり、テッポウをしたりするのだが、誰も周りに近づけないオーラを出していた。なれ合いを嫌い、孤高の存在であり続けるのは今も一緒。やはりここにも彼の求める相撲道というのがあると思う。
貴乃花が現役を引退して、親方になった後、一度だけ、酒の席で話をさせてもらったことがある。その時には酒も入っていたからか、雄弁になっており、現役時代の時の孤高の雰囲気とは無縁だった。親方になって変わったのかな、というのが率直な印象だった。
でも、やっぱり貴乃花は貴乃花だった。横綱時代、ファンを魅了した、ほかの力士とは一線を画す相撲道へ突き進む姿は変わっていなかった。今回の事件では、その姿勢に反感の声も出ているが、ある意味彼は純粋に相撲が本来あるべき道を進もうとしているのである。
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