中日で5人が2敗で並ぶ大混戦制す
混戦となった大相撲夏場所は照ノ富士が7回目の優勝を飾った。千秋楽は3敗で並んでいた隆の勝が佐田の海に敗れ、仮に照ノ富士が敗れると大栄翔と佐田の海も含めた4人で優勝決定戦となる状況だったが、結びの一番で御嶽海を危なげなく寄り切り。休場明けの横綱が3場所ぶりの賜杯を手にした。
終わってみれば優勝争いも絞られ綺麗にまとまった印象はあるものの、中日の時点で早くも1敗力士が不在になり、2敗力士が優勝争いのトップに立つ混戦。13日目終了時で2敗力士も不在となり、終わってみれば12勝での優勝だった。
1場所15日が定着した昭和24年5月場所以降、最も多いのが14勝での優勝で157回。次いで13勝が140回で、14勝と13勝の優勝が約7割を占めている。12勝の優勝は42回目なので、頻繁ではないが時折見られる数字と言ってよいだろう。
ちなみに全勝は75回。最も少ない勝利数は11勝で過去3例ある(詳細は後述)。
中日で2敗のトップが全員平幕は2回目
先場所までの41回の12勝での優勝者の成績の推移を見ると、5日目時点での平均勝利数は4.12勝、10日目で8.22勝となる。また勝ち越しを決めた日の平均は9.9日目、10勝目は12.1日目。つまりは12勝の優勝であっても10日目には勝ち越しを決めているケースが多い。
ちなみに今場所は隆の勝が10日目に勝ち越しを決め、照ノ富士と佐田の海が11日目に勝ち越しを決めたので12勝での優勝としては平均よりやや遅めだったが、極端に遅いわけではなかった。
ただ、場所前半を振り返ると、全勝力士が不在になったのは7日目だったが、碧山が6連勝の後に連敗したため、中日の時点で1敗もおらず、2敗力士の中に三役以上の力士は不在。中日でトップが2敗だったのも5例目だが、全員平幕だったのは昭和50年7月場所以来2回目の出来事だった。
つまり前半戦の時点で上位陣は総崩れに近い状況になっていた。ちなみに2日目を終えて三役以上の連勝がいなかったのは史上初。それほど出だしは低調だった。
11勝で優勝は3人、14勝で優勝逃したのは6人
過去を振り返ってみると、優勝力士が11勝だった昭和47年1月場所は、12日目の時点でトップが3敗の吉王山1人になり、13日目にその吉王山に土がつくと3敗力士も不在となり、トップは4敗で5人が並ぶ展開だった。
終わってみれば先代栃東が11勝で単独優勝を果たしたものの、10勝での優勝もありうる場所だった。14日目終了時で10勝5敗での優勝者が誕生する可能性があった場所はこの場所が唯一だが、今場所も11勝で優勝となる可能性は十分にあった。
なお、この場所で優勝した栃東は、引退まで幕内で12勝以上の経験はなかった。この場所以外にも自己最高の11勝を挙げた場所はあったが、混戦になったことで掴み取れた優勝と言えよう。
優勝する力士は言うまでもなくその場所で最も勝利数が多かった力士だが、勝利数は一定ではない。11勝で優勝するケースもあれば、逆に14勝で優勝できないケースもある。過去には鶴ヶ嶺・旭國・北尾(双羽黒)・雅山・豊ノ島は14勝しながらも優勝できなかった。現役では逸ノ城がこれに該当する。
唯一の優勝が12勝以下だった力士は7人
照ノ富士は4回目の12勝以下での優勝で、これは千代の富士と武蔵丸に並ぶ歴代最多だ。だが千代の富士は31回のうちの4回であり、武蔵丸も12回中の4回。照ノ富士は7回中4回が12勝での優勝で、混戦に強い力士と言える。
ちなみに優勝回数20回以上の力士を見ると、千代の富士は前述した通り12勝での優勝が4回あるが、白鵬・大鵬・北の湖・貴乃花は1回。朝青龍はすべて13勝以上での優勝だった。
半面、唯一の優勝が12勝以下だった力士も7人おり、その中には13勝以上の経験がない力士もいる。こうしてみると、12勝以下での優勝は伏兵の優勝や、横綱や大関といった番付上位者でも混戦に強い力士が勝ち取った優勝が多いと言えるだろう。
今場所は序盤から誰が優勝するのかまるで見えない展開だったが、照ノ富士が横綱だからというだけではなく、混戦での優勝経験が多いことも賜杯を手にしたひとつの要因だったと言えるのではないか。平幕の活躍は場所を盛り上げるが、同時に来場所は大関陣の奮起も期待したい。
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