魁傑以来44年ぶりの大関返り咲き
大相撲の令和3年春場所で関脇・照ノ富士(伊勢ヶ濱部屋)が3度目の優勝を飾り、大関復帰を果たした。春場所で横綱、大関以外の力士が優勝したのは2000年に幕尻優勝した貴闘力以来。序二段から這い上がってきた照ノ富士は、ほかの3大関とは一味違う。
ケガや糖尿病に悩まされ、本人いわく「何度かやめさせてくれと言おうとした」という。大関陥落直後の場所で10勝以上して復帰した場合を除くと、大関返り咲きは1977年初場所後の魁傑以来、実に44年ぶりの快挙だ。
期待は来場所以降も強さを発揮しての綱とりだが、ここでふと思い起こされるのが「横綱とはなんぞや」ということ。鶴竜は引退したものの、白鵬は5場所連続休場した。休場していても有給休暇と同じだから月収約300万円が支払われるのは、どうも腑に落ちない。他のスポーツならケガであろうが試合に出なければ年俸が下がるのは当たり前だ。
たびたび横綱昇進を見送られた貴乃花
さらにさかのぼって横綱を決めるときの基準についても再度考えてみる。横綱になる条件は規定によると「2場所連続優勝か、それに準ずる成績」という、かなり曖昧な表現なのだ。
第65代横綱・貴乃花は、大関だった1993(平成5)年5月場所に14勝1敗で優勝、次の7月場所では13勝2敗で優勝決定戦で敗れ優勝同点でも横綱になれなかった。
さらに1994(平成6)年も、5月場所14勝1敗で優勝、7月場所11勝4敗、9月場所では全勝優勝を果たしたにもかかわらず「大関で2場所連続優勝という内規を満たしていない」という理由で昇進が見送られた。
これは今からすると疑問が残る。「それに準ずる成績」とは何を指すのか…。
後の大横綱でも2度も横綱昇進を見送られており、それ以外でもとうとう横綱にはなれなかった大関も多数いたのだ。
横綱審議委員会は来場所以降の大関陣全員に対して「競い合って上を目指してほしいと思う」とエールを送った。横綱昇進は、横綱審議委員会が審議をして出席者の3分の2以上の賛成があれば横綱に推薦され昇進が決定するが、もう少し基準を明確にすべきではないだろうか。時代に合わせて横綱審議委員会の内規も変えていくべきではないか。
日本相撲協会だけではないが、日本のスポーツ界はこのような古いしきたりが垣間見られるので、世界と戦うにあたって弊害になっている気がする。
大関昇進の目安とされる「直近3場所で合計33勝」に比べると、横綱昇進は「それに準ずる成績」の文言が広く解釈できるため、これまでたびたび論争が起きているのは事実である。横綱の責務を果たせない場合のペナルティやあいまいな内規を変更し、今後は努力を無駄にしないような横綱選びをしてほしい。
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