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秀岳館で3季連続甲子園4強の左腕・川端健斗が大学に籍を残して目指す道

2022 5/15 06:30内田勝治
2023年社会人球界入りを目指す川端健斗,Ⓒ筆者提供
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筆者提供

世代トップクラスの左腕、立教大卒部後に左肘手術

世代トップクラスの左腕と謳われ、甲子園を沸かせた男が今、静かに反攻の時をうかがっている。川端健斗。昨年秋、立教大学野球部を卒部後に左肘にメスを入れ、大学に籍を残しながら、2023年の社会人球界入りへ向け、トレーニングとリハビリを続けている。

「自分の中では投げることから解放されたというか、野球を初めてからこんなにノースローだったことはなかったので、結構リフレッシュできました。4年生の時は投げるたびにストレスを感じていたんですけど、手術してから3、4カ月くらい経った頃に、久しぶりに投げたいという気持ちが自分の中に現れました。投げられるようになったら、自分のイメージの動きで一度、何も考えずに投げてみて、イメージと実際の動きにギャップがあったら、そこを縮めていこうかな、と思います」

甲子園4季連続出場、2017年U18でアメリカから15奪三振

誰もが羨む球歴を残してきた。中学時代、南都ボーイズ(京都)では4番手投手、最速118キロほどの平凡な投手だったが、秀岳館高校(熊本)の監督就任が決まっていた鍛治舎巧さん(現県立岐阜商業監督)から直球の質とカーブの伸びしろを見込まれて誘いを受け、2015年春に京都から熊本へ。ウエートトレーニングや走り込み、食トレを行う過程で球速も伸び、高校1年の秋前には130キロ、2年春のセンバツでは137キロまでアップした。

そこから4季連続で甲子園出場を果たし、3年春まで3季連続ベスト4に入り、2017年、3年夏の甲子園終了後に、ダブルエースを形成していた同じ左腕の田浦文丸(現福岡ソフトバンクホークス)とともにU18日本代表に選出。カナダで行われたワールドカップでは、アメリカ打線を相手に15奪三振をマークするなど脚光を浴びた時には148キロをマークするまでに成長を遂げていた。

「アメリカ戦の動画はしょっちゅう見ますね。見ていて心が保たれる。あれが一番いい感じだとは思いますね」。グラブをはめる右腕を高々と掲げ、真上から投げ下ろす独特なフォームから繰り出される落差の大きいカーブを武器に、面白いように三振の山を築いた。

「僕のフォームはムチのようにしなるイメージ。高校時代はそのイメージにどれだけ自分の動きをマッチさせるかをずっと考えていました」

立教大に進学、1年生で3勝も「フォームに違和感」

プロからも注目されるなかで、3年春のセンバツ前には東京六大学リーグの立教大学から誘いを受け、進学を決断。アスリート選抜入試を経て入学すると、1年春から7試合に登板し2勝0敗、防御率1.93、同年秋にも1勝するなど、ルーキーイヤーから順調に成績を残していった。

しかし、1年秋のリーグ戦途中から「フォームに違和感を感じていた」という。高校の時の動画を繰り返し見てはみたが、「高校の時は感覚でやっていて、自分のフォームのチェックポイント、悪くなった時の修正点を抑えることができなかった。だから、高校時代のフォームのどこがチェックポイントなのか全然分からなかった」

右手を上げるのを抑えたり、投げ終わった後に三塁方向へ上体が流れるのをやめて右足一本で立ってみたりと試行錯誤を繰り返した。

「もともと体の軸を三塁方向にずらして投げ下ろすタイプ。右足一本で立つことを意識すると、リリースポイントが下がっちゃって…」。高校時代のフォームを参考とするべきか、それとも新しく作り上げるべきか―。悩みが深まるにつれ、特徴だったダイナミックさが欠け、球速は落ち、制球にもズレが生じるなど負の連鎖が続いた。

結局、2年春は登板することはなく、同年秋に2試合登板したのみ。上級生となる3年生以降は一度も神宮のマウンドに上がることはなく、大学野球生活に幕を下ろした。

昨年11月にトミー・ジョン手術、リハビリの日々

3年からは左肘に痛みを抱えながらオープン戦などに登板した。「進路のこともあったんで、最後の方は無理してやっていました」。痛み止めの注射を打ち、錠剤を飲んでから登板しアピールを続けたこともあった。

そして2021年秋、一縷の望みをかけてプロ志望届を提出も、ドラフトで指名されることはなく、関東の社会人チームの練習にも参加したが、練習後のメディカルチェックで、トミー・ジョン手術が必要な状態であることが判明。手術をすれば最低でも1年間は投げられないため、採用は見送られた。

セカンドオピニオンでも結果は変わらず、手術を決断。同年11月18日に左膝の腱を左肘に移植した。

術後は「自分の手じゃないみたい。ほんまにここから投げられるようになるんかな」と不安を感じたこともあったが、現在は日常生活に支障はないまでに回復。6月頃に軽いキャッチボールを再開、秋頃からのブルペン投球を目標に練習を続けている。

「最終的にはプロを目指してやっていきたい」

「大学でそれっきり消えたと思われたくない。まだ野球に未練もあるし、野球でやっていきたいっていう小さいころからの夢を貫いて、最終的にはプロを目指してやっていきたいです」

高校時代、熊本でしのぎを削った村上宗隆(九州学院高校、ヤクルトスワローズ)、U18でチームメートだった清宮幸太郎(早稲田実業、北海道日本ハムファイターズ)、安田尚憲(履正社高校、千葉ロッテマリーンズ)ら同世代が活躍するプロの舞台に、いつかは自分も―。川端の挑戦はまだ終わらない。

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