驚愕の大学1年目
その男はまるで救世主のように現れた。
2017年10月8日、東京六大学野球秋季リーグ戦、慶應大学対明治大学。
前週までの6試合で32失点を喫していた慶應大は、もう後がないところまで追い込まれていた。
そんな中、先発のマウンドに上がったのが当時、1年生の佐藤宏樹だった。
球威のある140キロ後半のストレートは伸びもあり、球速以上の速さを感じさせる。縦と横、2種類のスライダーも有効に使い、この日、明治大打線から奪った三振は12個。8回を2安打1失点に抑える投球でチームを勝利に導いた。
その後も佐藤は、要所でチームの窮地を救った。
翌週の10月14日、対立教大学1回戦では、味方打線が4点を奪い、6対7と1点差に追い付いた7回裏からマウンドに上がると2回を1安打無失点。チームの逆転勝利に繋げた。2週間後の10月28日の対早稲田大学1回戦では、2対1と1点リードの7回裏から登板。打者9人を無安打、6三振を奪うパーフェクトリリーフ。中1日で臨んだ同2回戦では先発を任せられ8回4安打1失点に抑え、3勝目を挙げ、チームの7季ぶり35度目のリーグ優勝にも大きく貢献した。
しなやかな腕の振りから繰り出される伸びのあるストレートは、「キレが良い」という言葉ではいささか軽過ぎるくらい類を見ない剛球だ。
防御率1.03で最優秀防御率賞を受賞した1年秋の球質を紐解くとやはりストレートの数値がひときわ目を惹く。球速は140キロ台後半でも回転数は2400~2500を計測。回転軸の傾きが少なく、回転効率は99~100%を推移。ホップ成分が高い、空振りが獲れるストレートを投げていたことが分かった。
ここに縦と横、二種類のスライダーにチェンジアップも加わる。26回1/3を投げて42個の三振を奪った高い奪三振能力の秘密がそこに隠されていた。
しかし、2年春以降、彼は大学野球の表舞台から姿を消す。
失った「真縦のストレート」
快投を続けた1年秋のリーグ戦の終わりに左肘が悲鳴をあげ、その後の明治神宮大会は欠場。以後はリハビリと怪我を繰り返すようになった。
「1年生のときも実は肘の怪我との闘いというか自分との闘いって感じでした。投げて『よし勝った』というよりも『なんとか今日も持ちこたえた』という気持ちの方が強くて、常に追い詰められている感じがどこかにありました」
故障が完治しないまま臨んだ2年春は2試合5イニングを投げて防御率7.20。その夏には治癒力を高めるPRP注射を打ちながらリハビリを続けたが、2年秋の登板は叶わなかった。
肘痛が回復した3年春以降も、腰痛や脇腹痛といった怪我に悩まされ、この2年間のリーグ戦登板は4季でわずか9試合。練習試合でも打ち込まれ、苦しい時を過ごした。
「肘を怪我してから『なんで打たれるんだろう』とデータでも原因を追及しました。すると、回転効率が93~96に下がっているのが分かったんです。投げていても全部、ボールが指にかかっていないし、抜けるとボールがシュート回転になってしまって…」
リハビリ中のトレーニングの成果もあり、球速はむしろ上がっていた。
「投げ方的には凄く力も入っているし、ボールを潰せている感覚もある。だけど、ボールは垂れ気味だし、球速は出るけど球が伸びない」
1年秋のようなボールを投げたい──。
チームから渡される自分の球質のデータを見て試行錯誤を試みた。しかし、身体を鍛えればその使い方は当然変わるし、目で見えるデータと自分自身の感覚の部分で差異が生じる。
「『1年生のときのあの投げ方に近付けたい』という想いがこの1~2年間は、頭の中にずっとあって……。でも、体はもちろん変わっていますし、感覚も以前とは全然違うものになっているので、あの当時と同じ投げ方をしようと思ってもやっぱり無理なんですよね。でも、自分の中では『あれが自分の中での最高潮』と思っている部分があるので、それを目指してしまっている自分がいる。それでは(理想に)追い付かないです」
昨年はチームが19年ぶり4度目の明治神宮大会優勝を成し遂げる中、ベンチ入りした投手の中でただ一人出番がなく終了。複雑な想いを抱えたまま、大学3年の秋が過ぎ去って行った。
悩み苦しんだ3年間「貴重な時間だった」
このオフは、全てが中途半端になっていた自分の姿勢をまず変えていこうと下半身のトレーニングを重点的に取り入れ、巻き返しを図った。
「年末年始は帰省もしたのでウエイトトレーニングが出来ない時期もあったんですけど、その分、走り込み中心のメニューをこなして、こっちに帰って来てからは、投げ込みやトレーニングを並行して、『焦らず、一歩ずつ』をテーマに地道にやって来ました」
2年間に及ぶ怪我との戦いで気付かされることもたくさんあった。
「怪我をするまでは体の仕組みとかを何も考えないで投げていた部分がありました。『なんで自分は怪我しやすいのか?』や『なんでこんなに腕が振れるのか?』といったことをあまり考えていなかったんです。それが今回の怪我で自分の体としっかり向き合えるようになって、『体が人より柔らかい』ことや『関節が緩い』といったところまで色んなことを知れました。まずは、そこを潰していくことから始めて行こうと思ったんです」
他人より苦しんだ分だけ、他人の痛みも理解するようになった。だからこそ後進にも自分の経験が役に立つのであれば、どんどん伝えていこうとも思っている。
「最近は自分のこういう経験があったからこそ、後輩にも何か還元することが出来るんじゃないかなって思うんです。そうしてアウトプットすることで、自分でも再確認することが出来ますし、色んなことで悩んだこの3年間も貴重な時間が過ごせたんじゃないかと思うんです」
そこにあるのは過去に戻ろうとするのではなく、未来を見据え、今を生きようとする青年の姿。彼は自分に言い聞かされるようにこう言葉を紡いだ。
「今は、あそこからの進化が必要で、出来るだけ当時の良いところは抜き取りながら、さらに進化というか新しいフォームにしようかなと考えています。あの頃と同じだとたぶん上手くいかないし、体も全く違うので……」
一度羽ばたけば九万里は飛ぶという伝説の鳥「鳳(ほう)」。その鳳のように佐藤は、再びその大きな翼を広げる。彼の翼が神宮の空で羽ばたくとき、慶應大の2年連続日本一は現実のものとなる。
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