五輪初登場で見事金メダルを獲得
野球が公開競技として初めて五輪に登場したのは、1984年のロサンゼルス。以降、歴代の日本代表チームの成績と、話題になった大会について紹介しよう。
日本が初めてオリンピックの野球競技に出場したロサンゼルスオリンピックでは、ソビエト連邦やキューバが出場権をボイコット。そのため、オリンピック組織委員会より日本へ参加要請があったことが出場のきっかけであった。
当時の監督は、住友金属のアマチュア野球指導者だった松永怜一。メンバーは大学生や企業に所属する社会人で揃えられた。代表選手が全てアマチュアだったにもかかわらず初出場で決勝に進出。アメリカ合衆国を破って、見事金メダルを獲得した。
また、このとき代表に選ばれていたほとんどの選手が後にプロ入りを果たしており、和田豊などプロでも活躍した人物が多く見られる。
3選手が名球会入り果たしたソウル五輪代表
1988年のソウルオリンピックでは、日本代表チームの成績は銀メダル。監督は元東芝所属の鈴木義信。代表選手には後にプロ野球を支えることになるメンバーが揃っていた。
日本人メジャーリーガーの先駆者である野茂英雄や、「ID野球の申し子」として選手兼任監督も務めた古田敦也、当時はまだ大学生でプロ入り後にトリプルスリーや2000本安打を達成した野村謙二郎らだ。この3人は、名球会入りも果たしている。
ソウルオリンピックの代表チームは、選りすぐりの精鋭で構成されていたことがうかがえる。
1992年バルセロナ~2008年北京まで
1992年のバルセロナオリンピックでは銅メダルを獲得。監督は住友金属の山中正竹。代表チームからは小久保裕紀、大島公一といった選手がその後、プロ入りを果たした。
1996年のアトランタオリンピックでは銀メダルという結果だ。監督はヤマハの川島勝司。後にプロ野球入りした選手は松中信彦、谷佳知、福留孝介、今岡誠、井口忠仁ら。
2000年のシドニーオリンピックからプロ野球選手の出場が認められ、日本代表チームは参加選手24人のうち大学生は5人、社会人は11人、プロが8人という構成となった。監督は東芝の大田垣耕造。プロ選手からは西武ライオンズの松坂大輔、千葉ロッテマリーンズの黒木知宏、福岡ダイエーホークスの松中信彦など強力なメンバーが揃ったが、惜しくもメダル獲得とはならず。5大会目にして初めてメダルなしに終わった。
2004年のアテネオリンピックに向けて、前回大会でのメダルなしの雪辱を期すため、日本球界が一丸となり代表を選定することとなる。これにより、現在は巨人の終身名誉監督を務める長嶋茂雄率いるドリームチーム「長嶋ジャパン」が誕生した。
だが、大会前に監督が脳梗塞で入院するという事態になり、急遽、代理として監督を務めることになったのが中畑清ヘッドコーチだった。
チームは全員がプロで固められ、目指すは金メダル獲得。野球王国であるキューバを五輪で初めて打ち砕くなど、予選リーグをトップ(6勝1敗)で通過し、決勝トーナメントに進出。だが、オーストラリアに敗れ決勝進出は叶わず、悔しいながらの銅メダル獲得となった。
2008年の北京オリンピックの日本代表チームの愛称は「星野ジャパン」。アテネに続き、北京もプロ選手のみでの編成となった。中日、阪神で監督を務めた(後に楽天の監督も務めた)星野仙一が指揮を執り、4位という結果だった。