10分以上の大差は7年ぶり
98回目の箱根駅伝は、優勝した青学大が2位の順大に10分51秒という大差をつけた。優勝と2位の差が10分を超えるのは、91回大会に青学大が駒大に10分50秒差をつけて以来のこと。それ以前の10分以上の差となると、64回大会で順大が大東大につけた17分9秒で、それ以来となる「圧勝」だった。
過去にはどんな圧勝レースがあったのだろうか。過去15大会の優勝と2位の差を調べてみた。
10分を超えたのは2度しかなく、いずれも優勝は青学大だ。91回大会の時は5区でトップに立ち、そこから首位を譲らなかった。この時、5区を走ったのは「3代目山の神」こと、神野大地である。
10分超とはいかないまでも、9分台の差が1度、7分台の差が2度あり、早々と勝負への興味が薄れた大会があったことがわかる。一方、差が1分を切った大会が3度、2分台が1度という、手に汗握る展開も度々あった。
2位が失格して大差記録に
過去の大差の記録を見てみると、上位にきているのは戦前から戦後間もないころの大会ばかりだ。長距離を走るランナーが多くなく、強化にばらつきがあった時代背景が影響しているのだろう。
最大の差は1938年の19回大会で、優勝した日大と専大の差は37分59秒だった。ただ、この時はちょっと特殊な事情があった。2位でゴールしたのは、明大で、日大との差は1分25秒だった。これならば、むしろ接戦と呼べるのだが、明大の選手に日本放送協会との二重登録問題が起こり、明大は失格となった。そのため、専大が3位から繰り上がり、この大差となった。
次の大差記録は24回大会で、中大が日大に33分51秒の差をつけた。この時の中大は1区から先頭を守り続ける完勝。区間賞が6区間で、区間2位が3区間、区間4位が1区間だった。
最少僅差はわずか115メートル
僅差の記録をみると、1位が87回大会の早大で2位東洋大との差は21秒だった。速度から計算すると、距離にすれば約115メートルの差だった。
ただ、この時の早大は安定していて、10区間のうち、2位以下になって中継所やゴールに入ったのは1度だけの「ほぼ完勝」だった。順位を落としたのは往路のゴールで2位。1区から先頭を守ってきたが、5区の山上りで順位を下げた。
この時、トップに立ったのは東洋大で、5区を任されたのは「2代目山の神」こと、柏原竜二だった。なお、東洋大は2、3区に当時1年生で後に学生駅伝界を背負う設楽啓太、悠太の双子を起用している。負けながらも力のある布陣だったことが分かる。
ちなみに早大の区間賞は1人だけだった。こちらも後に日本陸上界を背負う当時1年生の大迫傑が1区で獲得した。
なお、僅差3位は栄えある第1回大会で、優勝した東京高等師範(現筑波大)と2位明大の差は25秒だった。当時は早大、慶大を加えた4校のみのレース。この後の歴史を考えても、最初の大会がこの僅差だったことは奇跡的である。
【関連記事】
・青山学院大の箱根駅伝優勝で注目された1年生、過去に活躍したランナーは?
・箱根駅伝の歴代ごぼう抜きランキング、衝撃的だった「山の神」の11人抜き
・マラソンの賞金事情、東京は優勝で1100万円、川内優輝は収入増?