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「ピクシー」日本を愛し、日本に愛されたストイコビッチ【Jリーグニックネーム辞典】

2018 4/18 16:22Aki
Jリーグ,ストイコビッチ,ピクシー
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Ⓒゲッティイメージズ

ピクシー

サッカー選手の中にはファンやチームメートから特別な名前で呼ばれる選手・監督がいる。そこには彼らの特徴であったり性格、過去の経歴など様々な由来がある。そんなニックネームから選手・監督を紐解いていく。


「ピクシー(妖精)」のニックネームで活躍したドラガン・ストイコビッチ。その愛称は子供の頃に大好きだったアニメ「ピクシー・アンド・ディクシー」に由来している。

1990年ワールドカップイタリア大会のスペイン戦でみせた2得点は、まさに「ピクシー(妖精)」。相手を惑わせる美しく華麗なプレーであった。

その後移籍したフランス、イタリアでは怪我に悩まされ、内戦の影響で代表チームは活動停止と、活躍の声が聞かれなくなってしまう。今でこそ日本でも「ピクシー」の名は有名になったが、1994年に来日し名古屋グランパスに加入した時は、そこまで大きな話題にはならなかった。当時は本人もすぐにヨーロッパに戻るつもりだったという。

そんなストイコビッチの転機となったのが、ヨーロッパ中で注目を集めていたアーセン・ベンゲルを名古屋グランパスに招聘したことだ。これをきっかけにストイコビッチは契約延長を決断。以降はヨーロッパ復帰を考えることなく、選手として8年、さらに監督としても6年、計14年間日本で過ごすことになる。

来日直後、試合に敗れた日にチームメイトが談笑している姿を見て、価値観の違いを感じたという。しかし、負けた日は眠れないと語るストイコビッチの勝利への執念は、Jリーグ初期の選手たちの意識を変えていき、リーグの発展に選手として監督として貢献した。

リフティングドリブルや革靴シュートなど多くの伝説を残し、日本の文化や伝統、日本食をこよなく愛した14年間。世界中を虜にした「ピクシー」が最も輝き、最も愛し、最も愛されたのは日本の名古屋グランパスだった。



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