「考えながら走るサッカー」を定着
元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシムさんが5月1日死去し、国内外に悲しみが広がった。80歳だった。
旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボで生まれ、190センチを超える大型FWで鳴らした現役時代はユーゴ代表として1964年東京五輪に出場。引退後は指導者となり、1990年ワールドカップ(W杯)イタリア大会では「ピクシー」の愛称で親しまれたストイコビッチ(元J1名古屋監督)らを擁する「黄金時代」の旧ユーゴ代表を率いてベスト8に導いた。
口癖は「リスクを冒さなければ人生で何も成し遂げられない」。独特のサッカー哲学をユーモアと含蓄ある語り口で表現し、機知に富んだその言葉は「オシム語録」として親しまれ、生前に残した名言の数々が日本サッカー界の歴史と発展を後押ししたのは間違いない。
選手に求めた「ポリバレント」な能力
2003年にJ1市原(現J2千葉)監督に就任すると「考えながら走るサッカー」を定着させ、2005年のヤマザキナビスコ・カップ(現YBCルヴァン・カップ)でクラブ初のタイトルを獲得。「ポリバレント(複数の価値を持つ)」な能力を持つ選手を求めた。
2006年W杯ドイツ大会後、ジーコ氏の後を受けて日本代表監督に就任すると、運動量や機敏性を重視した日本の特長を生かす「日本サッカーの日本化」を掲げて2010年W杯南アフリカ大会を目指したが、2007年11月に旧姓脳梗塞で突然倒れて退き、岡田武史氏が後任となった。
オシムさんの死に哀悼の意を込め、多くのジャーナリストを虜にした心に響く「オシム語録」を振り返ってみたい。
ライオンに襲われたウサギが肉離れしますか?
「あなたは息子さんを『最後まであきらめずに走る子』に育てましたか?そうでなければ期待しない方がいい。そうなら、わたしが責任を持って育てます」(市原監督時代の03年、新加入選手の親に)
「レーニンは『勉強して、勉強して、勉強しろ』と言った。私は選手に『走って、走って、走れ』と言っている」(市原監督時代の03年、自身の哲学に)
「ライオンに襲われた野うさぎが逃げ出す時に肉離れしますか?準備が足りないのです」(市原監督時代の03年、故障者続出に)
「水を運ぶ選手も必要だ」
「うまくいく時も駄目な時もある。全部当たるなら、カジノに行くし競馬にも挑戦する」(03年、選手交代が的中し)
「サッカーは危険を冒さないといけないスポーツ。そうしないと塩とコショウのないスープになる」(03年)
「巻(誠一郎)はジダンになれない。だがジダンにはないものを持っている」(06年、千葉の日本代表FW巻に)
「守備的な選手はいるのか? 水を運ぶ選手も必要だ」(06年、攻撃的な選手をそろえたジーコジャパンの中盤の現状について)
「日本代表を日本化させる」
「最初にやらなくてはいけないのは代表を“日本化”させること。初心に帰って日本らしいサッカーをしようということだ。いかに持ち味を生かすかを考えている」(06年、日本代表の監督就任会見で)
「(世代交代に)古い井戸には水が少し残っているのに、完全に捨てて新しい井戸を掘りますか? 古い井戸を使いながら新しい井戸を掘ればいい」(06年、日本代表監督の選手選考で)
「勝つことも負けることもある。いつも勝たないといけない危機感の中では、子どもたちがサッカーをしなくなる」(06年、勝利至上主義の風潮に)
「美のために死んでもいいと考えるような選手が存在する余地は少なくなっている。個人的には残念だが、人生もそうだ」(06年、効率重視の現代サッカーの方向性に)
「歴史、戦争、原爆の上に立って考えるべき。負けたことから最も教訓を学んでいる国は日本だ。今は経済大国になっている。失敗から学ぶ姿勢がなければ、サッカーは上達しない」(06年、日本代表の初陣を前に)
「世界基準があっても、日本は誰のまねもしない方がいい。俊敏性、積極的な攻撃、高い技術。ほかの国にないものを持っている」(日本人選手の特長に)
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