第1回大会が開催されたのは1998年
ブラインドサッカーは1980年代初頭からスペインを中心に行われていた視覚障がい者によるサッカーです。そんなブラインドサッカーの世界一を決める大会が最初に行われたのは1998年。サロンフットボールが盛んなブラジルで開催されました。初代王者となったのは開催国ブラジル。当初は2年に1度の開催で、ブラジルは続く2000年第2回スペイン大会にも優勝し大会2連覇を達成します。
2002年、再びブラジルで行われた第3回大会で優勝したのはブラジルのライバルであるアルゼンチンでした。そしてここからはワールドカップと同じく4年に1度の開催に変更となり、2006年アルゼンチンでの第4回大会でも再びアルゼンチンが優勝しこちらも連覇を達成。
しかし第5回2010年イングランド大会、第6回2014年東京大会では再びブラジルが連覇と、ここまでブラジルが4回優勝、アルゼンチンが2回優勝と、この2カ国のみが優勝経験があるという大会になっています
日本代表は2006年大会に初出場
日本にブラインドサッカーの協会が正式に発足したのは第3回世界選手権が開催された2002年。
それまでも独自のルールで行われていた中、2001年に国際ルールが日本に上陸し、その翌年に競技団体が設立。日本国内各地で盛んに行われるようになり世界大会に出場に向けて本格的な強化がスタートします。
世界選手権に初出場を果たしたのはアルゼンチンで2006年に開催された第4回大会。8カ国中7位に終わりますが、日本のブラインドサッカーの歴史に大きな一歩を刻みました。
ブラインドサッカーは2004年からパラリンピックの正式種目に採用されました。日本代表はパラリンピックの出場経験はありませんが、世界選手権には2006年の第4回大会から自国開催となる2014年の第6回大会まで3大会連続出場中。
現在は2018年にスペインで開催予定の第7回大会と2020年の東京パラリンピックに向けて、強化が行われています。
日本ブラインドサッカーの転機となった2014年東京大会
それまで世間的にはあまり知名度が高いとは言えないブラインドサッカーでしたが、転機となったのは2014年東京で行われた第6回大会。
サッカーが人気スポーツとして定着した中、視覚障がい者によるサッカー、ブラインドサッカーの世界選手権が日本で行われるということで、元サッカー日本代表選手や日本サッカー協会の関係者がこぞって協力。それに本来の魅力である、激しさや想像以上にスピーディーなプレー等が加わり、ブラインドサッカーが日本国内のサッカーファンを中心に世間にも広く知られるようになります。
この大会で過去最高の6位を達成しただけにとどまらず、後にJFAのライセンスを持つ監督が日本代表監督に就任するなど、健常者スポーツ競技団体が障がい者スポーツ団体の強化に協力するという日本では異例の体制が作られる契機となりました。
王者ブラジル代表のスター選手ヒカルド
ここまでの6大会でブラジルが4回、アルゼンチンが2回とサッカー界の南米の2大強国がタイトルを独占しているブラインドサッカー世界選手権ですが、現在特にその強さを発揮しているのが大会2連覇中のブラジル代表。2016年のリオパラリンピックも含めパラリンピックでも3連覇中と、直近の5つの世界大会全てでブラジル代表が優勝を達成しています。
そんなブラジル代表のエースとなっているのがヒカルド選手。
抜群のスピードとボールが足に吸い付くドリブル突破だけでなく、まるで見えているかの様に繰り出されるパスやシュートは圧巻です。
後世に語り継がれうる熱戦―東京大会での決勝戦
2014年東京大会の決勝となったのはブラジル対アルゼンチン。文字通りの頂上対決です。
この試合の見どころは、世界最高のアタッカー・ブラジル代表のヒカルド選手と、パワフルでクレバーな守備とそこからのゲームメイクで衝撃を与えるアルゼンチンの至宝パディジャ選手のマッチアップ。試合はヒカルド選手を中心としたブラジルの攻撃をパディジャ選手を中心としたアルゼンチンの守備が抑えるという展開となり前後半を終え0-0。延長戦に突入します。
しかし延長に入るとヒカルド選手のスピードに対応し続けていたパディジャ選手が負傷。その直後にブラジルが先制します。その後再びピッチに戻ったパディジャ選手が試合終了間際に足を引きずりながらも第2PKを獲得しますが、それを決められず試合終了。世界最高峰を見せつける熱戦は後世に語り継がれるであろう名勝負となりました。
まとめ
世界最高峰の戦いが見られるブラインドサッカー世界選手権。日本代表もサッカー協会の協力を経て近年メキメキと力をつけており、2018年のスペイン大会は注目を集める大会となること間違いありません。