上村愛子のジュニア時代
元日本モーグル界のアイドル・上村愛子。幼少期は長野県でスキー技術を学び、中学2年生の時にモーグルに転向した。高校時代には全日本選手権に出場して見事3位に入るなど、全日本ナショナルメンバーにも選出された。
翌年から海外の大会に参戦することが増え、ワールドカップではマイリンゲン大会で男子代表の坂本とともに優勝を飾るなど、その才能を発揮し始めることになる。
Ⓒゲッティイメージズ
女子モーグル選手だった上村愛子は、冬季オリンピックに5大会連続出場し、すべての大会で入賞。日本人初となるワールドカップ年間総合優勝獲得など数々の記録を作った。また、キュートなルックスでの人気も高い彼女のこれまでの功績と、歩んできた道のりを紹介する。
元日本モーグル界のアイドル・上村愛子。幼少期は長野県でスキー技術を学び、中学2年生の時にモーグルに転向した。高校時代には全日本選手権に出場して見事3位に入るなど、全日本ナショナルメンバーにも選出された。
翌年から海外の大会に参戦することが増え、ワールドカップではマイリンゲン大会で男子代表の坂本とともに優勝を飾るなど、その才能を発揮し始めることになる。
上村愛子が愛される理由は、なんといっても前向きでいつも笑顔なところではないだろうか。特に自身初となった長野オリンピック出場を機に、そのかわいらしい容姿もあって多くのメディアに取り上げられるなど、お茶の間への露出も増えていった。モーグル知ってるだろうか!というテレビでの問いかけを見た記憶がある方もいると思う。
ケガを乗り越え世界チャンピオンにまで上り詰めながら、五輪では残念ながらメダルには及ばなかった上村。涙をこぼしながら、「どうすれば表彰台に登れるのかわからない」といった発言や、「どうしてこう一段ずつしか順位が上がらないんだろう」といった言葉は人々の記憶に残る。
毎日、戦いに備えてきつい練習を続けてきたからこそ、本気で涙し笑顔で終われる。そんな彼女から学ぶことも多い。
上村愛子と言えば、メダルに届きそうで届かなかったという印象を持っている方もいるかもしれない。日本で開催された長野オリンピックが初のオリンピック参戦で、見事に7位入賞を果たす。長野大会では、日本女子史上初の金メダルを獲得した里谷多英の輝きもあった。
その後のオリンピックでは毎年少しずつ階段を上るように、ソルトレイクシティが6位、トリノで5位、ソチで4位と健闘した。ソチが最後の大会になったわけだが、涙ながらに最高の舞台で戦えて幸せといっていた彼女の姿をご記憶の方も多いのではないだろうか。
トリノ五輪時代の上村は、難しいエアをどのように決めるかに重点をおいた練習を積んでいた。なぜなら、そのころのモーグル界では3Dという大技コークが生まれ、アクロバティックな技が多くを占めるようになっていたからだった。
当時の上村選手もエアの大技コークスクリューの修練を積んでいたが、このような大技は、ミスをしやすいというリスクを伴う点が最大の問題だった。
ソルトレイクシティ五輪後は、エアの大技狙いをやめ、採点方法の視点からどの点数を伸ばすかを再検討し、上村の代名詞ともいえる美しいカービングターンを完成させたのだ。
あの愛らしい笑顔とそして悔し涙。両方をオリンピックの舞台で見せてくれた上村。彼女のすごさはここにある。「2008年ワールドカップ総合優勝」はオリンピックの金メダルよりも価値があると言われれるほどの大きな称号だ。年間通して勝ち続けなければ、その頂点に立つことができない。
この年の上村は大技コーク7を用い、バックフリップも取りいれながら参戦し、猪苗代大会以降、破竹の6連勝とその強さを知らしめた。
ソチオリンピック後に引退した上村は、その後、母校のスーパーバイザーに就任するなど今後のモーグル界の若手を育てる役目を担っている。