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平成10年 長野五輪スキージャンプ団体金メダル【平成スポーツハイライト】

2018 12/23 15:00SPAIA編集部
原田船木,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

リレハンメルで悪夢の大失速

冬季五輪では平成唯一の日本開催となった平成10年(1998年)の長野オリンピック。日本選手が活躍した中で、特に印象深いのがスキージャンプ団体の金メダルではないだろうか。

原田船木,Ⓒゲッティイメージズ

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日本中を涙させた感動ドラマには伏線があった。

長野のひとつ前、平成6年に行われたリレハンメル大会。西方仁也、岡部孝信、葛西紀明、原田雅彦の4人で臨んだ日本は1本目から好記録を連発。2本目も西方が135m、岡部が133m、葛西が120mで首位をキープ。最後の原田が105m以上飛べば優勝が決まるはずだった。

しかし……。1本目で122m飛んでいた原田が大失速。着地するとうずくまり、両手で顔を覆ったほどの失敗ジャンプだった。記録はまさかの97.5m。ほぼ手中にしていた金メダルはスルリと抜け落ち、無念の銀メダルに終わった。原田はバッシングを受け、自宅にも嫌がらせがあったという。

原田が雪辱の大ジャンプ

4年後、平成10年の長野五輪。日本は岡部、斉藤浩哉、原田、そして進境著しい船木和喜の4選手で臨んだ。

1本目、岡部が121.5m 、斉藤が130mを飛び、首位に立った。しかし、3人目の原田が79.5m。リレハンメルの悪夢がよぎる。4人目の船木は118.5mを飛んだが、日本は4位で1本目を終了した。

この時、吹雪が強まったため競技が中断された。中止となると1本目の成績で順位が決まる。25人のテストジャンパーのジャンプで競技を続行するか、判断することになった。

24人が順に飛び、最後のテストジャンパーは前回リレハンメルのメンバーだったものの長野では代表から漏れた西方。悔しさをぶつけるように飛んだ大ジャンプのおかげで続行可能と判断され、2本目に入ることになった。 そして西方は原田に声をかけた。「次はお前の番だ」。原田は西方から借りたアンダーウェアを着ていた。

2本目、岡部が137mの大ジャンプ、斉藤も124mで続いた。そして原田の順番が回ってきた。リレハンメルの悔しさ、前回は共に戦いながら代表に入れなかった西方、葛西への思いを全てに背負い、原田は飛んだ。

視界の悪い吹雪の中で、原田だけが風にも引力にも逆らうようだった。137mの大ジャンプ。ついに日本は首位に立った。 最後の船木は完璧なジャンプで125m。4人は雪の中で抱き合いながら喜んだ。4年越しの金メダルは格別だった。

船木は個人ラージヒルでも金メダル

「三振かホームラン」と称された原田の一世一代の大ジャンプ。日本中を感動させた原田は個人ラージヒルでも銅メダルを獲得した。

また、美しい飛形で芸術的とさえ言われた船木は個人ラージヒルで金メダル、個人ノーマルヒルでは銀メダルに輝いた。こうして長野五輪のジャンプ競技は日本中を感動の渦に巻き込んで、終わりを迎えた。

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