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スケルトンの歴史に輝く名選手とは?

2017 2/9 09:26
スケルトン,Shutterstock
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Photo by Daniel Huerlimann-BEELDE / Shutterstock, Inc.

ウィンタースポーツ、スケルトン。スピードとスリルで手に汗握る勝負を見せてくれる競技です。 そんなスケルトンで戦ってきた選手には、どんな顔ぶれがいたのでしょうか。 ここでは、過去、現在を含め、実績のある名選手をご紹介します。

オリンピック金メダル1号、ジェニソン・ヒートン

ジェニソン・ヒートンは、1928年の第2回冬季オリンピック・サンモリッツ大会で初めて正式競技に採用されたスケルトンで、見事に金メダルを獲得したアメリカの選手です。
オリンピック初のスケルトン競技は男子のみ行われ、6か国から10名の選手が参加して、3回の滑走で勝負を競いました。結局、1回目で好タイムを出したジェニソン・ヒートンが合計タイム3分01秒8で競り勝ちました。2位は3分02秒8で、3本合計で1秒差という僅差でした。ちなみに、2位に入って銀メダルを獲得したのは実弟のジョン・ヒートンでした。

オリンピックで入賞した日本人・越和宏

越和宏はボブスレーで1992年のアルベールビルオリンピックを目指しましたが、選考会で敗れてスケルトンに転向します。当時スケルトンはオリンピック競技ではなく、日本では指導者もいない状態でした。それでも競技を続け、1998-1999年シーズンにドイツ・ケニックゼーで行われたワールドカップで3位入賞すると、1999-2000年シーズンの長野大会で金メダルを獲得します。
2002年のソルトレイクシティオリンピックでは日本代表として金メダルが期待されましたが、残念ながら8位に終わりました。8位に終わったとはいえ、日本のスケルトンの先駆者としての価値ある入賞でした。これ以降、オリンピックでの日本人選手の入賞はありません。

日本人女性初のオリンピック出場・中山英子

中山英子は1970年生まれ、長野県出身のスケルトン選手です。1998年の長野オリンピックに新聞記者として関わりを持ち、その後28歳でスケルトンを始めた経歴を持ちます。 2002年のソルトレイクシティオリンピックでスケルトンの日本代表に選出。結果は2本合計1分48秒72の12位でしたが、2006年トリノ大会にも連続して出場するなど、日本女子スケルトン界を牽引しました。2010年バンクーバー、2014年ソチには出場できませんでしたが、現在も現役を続けています。
2016年6月、JBSFの国際大会への代表選考基準が明確でないと日本スポーツ仲裁機構に仲裁を申し立てましたが、10月に和解に至りました。

2度のオリンピックに出場、スケルトン女子・小室希

小室希は、1985年生まれ、宮城県村田町出身の選手です。仙台大学在学中にスケルトンを始めると、2006-2007年シーズンの全日本スケルトン選手権で初優勝を飾り、2015-2016シーズンまでに計8回全日本を制覇しました。 オリンピックでは、2010年バンクバー、2014年ソチの2大会に連続出場しました。バンクーバー大会では使用ソリの検査合格ステッカーをはがしてしまい、失格となりましたが、ソチ大会では4回戦まで進み、最終的には19位と健闘しました。
2018年の平昌オリンピックでも有力候補ですが、2015-2016シーズンのIBSFランキングは41位と、小口貴子の22位に次ぐ日本人2位の成績です。国別ランキングを上げれば2人出場できるので、頑張ってほしいですね。

IBSFランキング日本人男子最上位、スケルトン男子・高橋弘篤

高橋弘篤は、1984年生まれ、宮城県出身のスケルトン選手です。仙台大学でボブスレー部に入部したのがきっかけで、スケルトンの道に進みます。2010-2011年に全日本スケルトン選手権で初優勝すると、3年連続で優勝を飾ります。
国際大会でも2013-2014シーズンのワールドカップで9位入賞など実力をつけ、2014年のソチオリンピックの代表に選ばれました。ソチでは3回戦14位で4回戦に進出、最終的には12位まで順位を上げています。2015-2016シーズンのIBSFランキングでは21位と日本人トップ、全日本選手権でも優勝するなど、2018年平昌オリンピック代表の大本命です。

まとめ

スケルトンの名選手をオリンピックの実績をもとにご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。 スケルトンはスイスが発祥の地と言われ、欧米を中心に盛んになった競技です。日本は参入も遅く、発展途上国の立場ですが、現役の名選手も少なくありません。 今後の活躍に期待しましょう!